著者
中村 大介
出版者
埼玉大学教養学部
雑誌
埼玉大学紀要. 教養学部 (ISSN:1349824X)
巻号頁・発行日
vol.55, no.2, pp.129-147, 2020

漢代の遼東郡は楽浪郡とならんで、朝鮮半島や日本列島の社会に関連の深い地域である。さらに、王莽期頃から烏桓が塞内でも活動していたことが、発掘によってわかってきた。そこで、本稿では遼東半島の墓を軸に時期的変遷と交流関係について考察を行い、当時の交易活動について検討した。その結果、東の膠東半島と北の騎馬遊牧民との仲介者として貝墓を造営していた人々の活動が重要であることが理解された。訂正(1p)あり

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「前漢晩期~後漢初期においては遼東半島から北部九州は交易網で繋がれていたことは間違いない。沖縄で出土する明刀銭や滑石混入土器の存在を考慮すると、この交易網は琉球まで及んだことが想起され、戦国時代後期にはその原型は形成されていたのだろう(鄭 2008、中村 2015」https://t.co/1d0D1ebCqB

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