著者
山倉 明弘
出版者
天理大学
雑誌
天理大学学報 = Tenri University journal (ISSN:03874311)
巻号頁・発行日
vol.72, no.1, pp.29-57, 2020-10

1790年に初めての帰化法を制定した合衆国議会は,帰化の資格を「自由白人」であることとした。アメリカ人の境界を定めるのに人種という基準を用いていた162年間の始まりである。奴隷制の存続を巡って戦われた内戦の後に行われた革命的政治変革により,それまでの帰化諸法は改正され,帰化の資格に「アフリカ生まれの外国人とその子孫」であることを加えた1870年帰化法が成立したが,その審議において,奴隷制廃止運動の急進派のリーダーであった上院議員が帰化要件から「白人」の語を削除することを提案し,それが中国人を「アメリカ人」の境界内に編入することを意味したために審議は大いに紛糾し,結局中国人の帰化は明示的に否定された。本論は,1860年代末までの帰化を巡る合衆国の動きを法的な側面を中心に概観したうえで,1870年帰化法審議の歴史的意味を考察する。

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CiNii 論文 -  アメリカ人の境界 : 1870年帰化法と非白人編入論争 https://t.co/apCYtWinhx #CiNii

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