- 著者
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吉良 智子
- 出版者
- 千葉大学大学院人文社会科学研究科
- 雑誌
- 千葉大学人文社会科学研究科研究プロジェクト報告書 (ISSN:18817165)
- 巻号頁・発行日
- no.279, pp.148-154, 2014-02-28
千葉大学大学院人文社会科学研究科研究プロジェクト報告書 第279集 『歴史=表象の現在』上村 清雄 編今日、「人形」は主に女児向けの「玩具」として認識されることが多いが、前近代においては、「女児のアトリビュート」として特殊化されたものではなかった。明治初期以前にも女性のライフサイクルに関わる「雛人形」なども存在したが、それは同時に公家や武士階級あるいは富裕な町人が、その社会的なステータスを示す事物でもあり、「女児の文化」だけに還元されない意義も備えていた。また、祭礼などに使用される「山車」や「菊人形」などは、むしろ成人向けの娯楽産業として成立していた。しかし、人形は、明治以降の近代的な教育制度や教育観の普及とともに、幼児教育という視点から論じられる傾向が強くなり、明治後期には玩具としての人形という認識が形成された。一方で、近代化にともない流入した西欧の概念にそった「美術」が形成された結果、「美術」「美術工芸」「工芸」などのカテゴリーが成立した。しかし、人形は分業体制などの制作工程が「近代的芸術家象」と一致せず、職人的な「伝統工芸」という位置づけをされ、「美術/芸術」の枠組みから外された。このパラダイムの転換を決定付けたのは、一九二〇年代末に始まる「人形芸術運動」だった。芸術としての人形の地位獲得を目指した人形師とコレクターによって始まった人間芸術運動は、数々の研究団体や同人店の開催、人形師とアマチュア作家の技術的交流などを経て、一九三六年の官展進出によりその目的を果たした。この運動は、人形に対する社会的な関心の高まりのほかに、当時女性の間に流行していた人形創作の意欲を巻き込みながら展開したことが、これまでに指摘されてきた。「手芸」の概念…p. 155の図版はリポジトリ未収録