- 著者
-
千田 有紀
- 出版者
- 日本家族社会学会
- 雑誌
- 家族社会学研究 (ISSN:0916328X)
- 巻号頁・発行日
- vol.12, no.1, pp.94, 2000
ジェンダーの意味にまつわる現代のフェミニズムの議論は、たいていの場合、何らかのトラブルの感覚に行きついてしまうと、著者はいう。しかしジェンダーの意味をひとつに決定できないことは、フェミニズムの失敗ではない。トラブルは、「女」という謎めいた事柄に関連させられたことであり、大切なのはトラブルを避けることではなく、トラブルに隠された秘密を暴き、うまくトラブルを起こすことである。このような意味が、本の題名には込められている。副題は、「フェミニズムとアイデンティティの撹乱」。セックス、ジェンダー、性的欲望と実践からなる一貫したアイデンティティや「女」という主体の存在に疑問を投げかけ、これらがいかに権力の法システムによって生産されるかを解き明かした、フーコー流社会構成主義の本である。<BR>構成は、第一章が「〈セックス/ジェンダー/欲望〉の主体」である。この章は『思想』にかつて翻訳された章で、本書の章のなかでもっとも有名な部分であり、基本的な分析の枠組みが述べられている。ここでは、生物学的なセックス、文化的に構築されるジェンダー、セックスとジェンダーとの双方の「表出」、つまり「結果」として表出される性的欲望のあいだに、因果関係を打ちたてようとする法システムに疑問が投げかけられる。その結果、法システムこそが、ジェンダー、そしてセクシュアリティ、さらにはセックスを生みだすのであって、セックスが、ジェンダーやセクシュアリティを生みだすのではないことがあきらかにされる。本書の主張は、この章に還元されるものではないが、やはりこの本の白眉であることは間違いない。<BR>第二章は、「禁止、精神分析、異性愛のマトリクスの生産」である。レヴィ=ストロースの構造主義にはじまって、フロイト、ラカンの主張が分析の俎上にのせられる。近親姦のタブーは、禁止することによって欲望を生み出す装置である。精神分析に関する分析がなされているぶん、家族社会学者には興味深い章だろう。<BR>最後に第三章、「攪乱的な身体行為」では、クリステヴァ、フーコー、ウィティッグまでもが、批判的に検討される。とくに男と女の対立を止揚するものとして「レズビアン」というカテゴリーをもちだすウィティッグに対する批判は、システムのなかで解放を語る難しさについて考えさせられる。