著者
千田 有紀
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.72, no.4, pp.416-432, 2022 (Released:2023-03-31)
参考文献数
31
被引用文献数
1

本稿は,フェミニズム・ジェンダー理論や実践の課題を問い直すものである.近代フェミニズム思想は,「性的差異」と「平等」をどのように両立させるかという課題と格闘してきた.女性が普遍的人権を適用されないのは,女性の身体に「差異」が潜んでいると認識されていたからである.近代社会の形成期に生起した第一波フェミニズムは,「母」であることを権利の源泉としつつ,個人としての権利も主張した.第二波フェミニズムは,近代社会批判とともに,社会的につくられた「母」役割を批判しつつも,自らの身体性を主張の源泉とした. ジェンダー概念の関連でいえば,「解剖学的宿命」に対抗するやり方のひとつが,「文化的社会的産物」としてのジェンダーという概念をつくりだすことであった.またポスト構造主義の登場により,差異は関係的な概念であること,そして「生物学的なセックス」や「身体」もまた言語的,社会的に構築されていると考えられるようになった.さらにジェンダーのみならず,さまざまな諸カテゴリーの位置性や交差性が問われることになった.ジェンダーの構築性の指摘から30年以上が経過した現在,「女」というカテゴリーの定義をめぐる論争のなかで,「身体」をどう位置づけるのかという問題が,以前とは異なる課題とともに再浮上している.
著者
千田 有紀
出版者
武蔵大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2015-04-01

本研究の最終的な目標は、以下の3点である。1.カルフォルニアにおける運動と日本における運動を比較し、日米社会の比較研究を行う。2.エコロジーとフェミニズムの関係を理論的・思想的に問い直す。3.アメリカのカリフォルニアでの反原子力運動を記録し、日本の運動と比較を分析を行う。また本研究は、母性に代表されるような家族に関する語彙の思想的意味を問いなおし、エコロジーとフェミニズムの関係を精査し、理論的に深化させることを目的としている。今年度はこの部分に集中的に取り掛かり、日本における「母性」、とくに「父性」との関係において、「母性」がどのように使われているのかについて検討した。とくに離婚後の家族における「母性」と「父性」の対立について、考察した。日本女性学会において「法律は、離婚後の親子関係に介入すべきなのか―面会交流は親の権利か、子どもの権利か、それとも義務か」というタイトルで、パネリストとして発表を行った。また『女性学』25号に「法律は、離婚後の親子関係に介入すべきなのか―面会交流は親の権利か、子どもの権利か、それとも義務か」という同名の論文が、掲載された。また家族にはらまれる暴力の問題がどのように日本社会で法的に制度化されているのかについて問い、「家族紛争と司法の役割──社会学の立場から」にまとめた。調査としては、今年度は日本において、福島からの女性避難者の聞き取り調査など、ライフヒストリーを聞き取ることを進めた。
著者
千田 有紀 海妻 径子 小川 富之 山田 昌弘 藤村 賢訓
出版者
武蔵大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2020-04-01

離婚後の親子のありかたをめぐって国民的な議論が巻き起っている。日本において離婚後の共同親権の研究や調査は、社会学の分野ではほぼ皆無であり、規範的な法学論議にとどまっている。法がどのように社会を構築し、どのような制度によって支えられているかという問題として検討されていない。本研究では、離婚後の「子どもへの権利(責任)」の「所有」、「ケア」や「子どもの福祉」といった概念を問い直し、「保護複合体」の形成のありかたを分析し、ポスト「近代家族」において制度構築が可能なのかを検討する。その際にこれまで外国で積み重ねられてきた共同親権や共同監護をめぐる議論や調査を参考とし、調査を複合的に検討する。
著者
千田 有紀
出版者
日本家族社会学会
雑誌
家族社会学研究 (ISSN:0916328X)
巻号頁・発行日
vol.12, no.1, pp.94-94, 2000-07-31 (Released:2010-05-07)

ジェンダーの意味にまつわる現代のフェミニズムの議論は、たいていの場合、何らかのトラブルの感覚に行きついてしまうと、著者はいう。しかしジェンダーの意味をひとつに決定できないことは、フェミニズムの失敗ではない。トラブルは、「女」という謎めいた事柄に関連させられたことであり、大切なのはトラブルを避けることではなく、トラブルに隠された秘密を暴き、うまくトラブルを起こすことである。このような意味が、本の題名には込められている。副題は、「フェミニズムとアイデンティティの撹乱」。セックス、ジェンダー、性的欲望と実践からなる一貫したアイデンティティや「女」という主体の存在に疑問を投げかけ、これらがいかに権力の法システムによって生産されるかを解き明かした、フーコー流社会構成主義の本である。構成は、第一章が「〈セックス/ジェンダー/欲望〉の主体」である。この章は『思想』にかつて翻訳された章で、本書の章のなかでもっとも有名な部分であり、基本的な分析の枠組みが述べられている。ここでは、生物学的なセックス、文化的に構築されるジェンダー、セックスとジェンダーとの双方の「表出」、つまり「結果」として表出される性的欲望のあいだに、因果関係を打ちたてようとする法システムに疑問が投げかけられる。その結果、法システムこそが、ジェンダー、そしてセクシュアリティ、さらにはセックスを生みだすのであって、セックスが、ジェンダーやセクシュアリティを生みだすのではないことがあきらかにされる。本書の主張は、この章に還元されるものではないが、やはりこの本の白眉であることは間違いない。第二章は、「禁止、精神分析、異性愛のマトリクスの生産」である。レヴィ=ストロースの構造主義にはじまって、フロイト、ラカンの主張が分析の俎上にのせられる。近親姦のタブーは、禁止することによって欲望を生み出す装置である。精神分析に関する分析がなされているぶん、家族社会学者には興味深い章だろう。最後に第三章、「攪乱的な身体行為」では、クリステヴァ、フーコー、ウィティッグまでもが、批判的に検討される。とくに男と女の対立を止揚するものとして「レズビアン」というカテゴリーをもちだすウィティッグに対する批判は、システムのなかで解放を語る難しさについて考えさせられる。
著者
千田 有紀 中西 祐子
出版者
武蔵大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2009

本研究プロジェクトでは、デートDVへの取り組み、とくにキャンパスでどのように取り組んでいるのかを調査することによって、日米の取り組みと暴力観を比較することが目的としていた。調査の結果、(1)アメリカのキャンパスの取り組みの中心を占めるのが学生寮であること、(2)これは学生寮があるという必要に迫られているからでもあるが、またさまざまな取り組みを浸透させやすくもしていること、(3)ただ啓蒙をおこなうのではなく、学生とセンターやNPOを結ぶ「リーダー」を育成し、学生の主体性を作り出すことが必要であること、(40プログラムは具体的であり、ただ一方的に「加害者」を批判したり、「被害者」の心がけを求めたりするものではなく、大部分の「傍観者」を暴力防止に巻き込んでいくのかに焦点があてられていること、(5)たんに暴力を防止するだけではなく、「正しい男性性」などの定義を変容させ、暴力を取り巻くメディア環境を含め、文化に多くの注意を払っていること、などが明らかになった。
著者
千田 有紀
出版者
武蔵大学
雑誌
若手研究(B)
巻号頁・発行日
2005

本研究は、日米の性暴力への取り組みを、とくに暴力主体である男性に焦点をあて、調査、分析するものであった。「男性性」のあり方を理論的に検討したあとで、アメリカで行われている男性への暴力への取り組みを調査することによって、男性を暴力の「主体」としないためにどのようなプログラムが有効であり、何が必要とされているのかを考察した。とくに暴力の「予防」プログラムについての具体的な知見が得られたことは、重要な成果であった。
著者
佐藤 文香 千田 有紀
出版者
一橋大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2021-04-01

本研究は錯綜するフェミニズムの現状を整理し、「第二波フェミニズム」の思想的意義と達成、そして限界を考察しようとするものである。「第二波フェミニズム」を、改めて日本の歴史的文脈のなかに位置付けて理解し、その成果と課題を理論的・実証的に明らかにしたうえで、フェミニズムの新たな歴史叙述を模索していく。世代間の差異を強調した単線的な進歩史観を問い直し、日本のフェミニズムの評価を再検討することを目指す。
著者
千田 有紀
出版者
新書館
雑誌
大航海
巻号頁・発行日
no.57, pp.134-141, 2006
著者
千田 有紀
出版者
日本家族社会学会
雑誌
家族社会学研究 (ISSN:0916328X)
巻号頁・発行日
vol.22, no.2, pp.190-200, 2010-10-30 (Released:2011-10-30)
参考文献数
21
被引用文献数
1 1

本論文では,フェミニズム論と家族研究の関係について明らかにする。その際まず,近代家族論が切り拓いた地平について,そしてこの近代家族論がどのような時代的背景のなかであらわれたかについて明らかにする。次に,近代家族論が家族研究においてもった意味について考察する。近代家族論は,家族を「歴史化」「相対化」し,近代社会と家族の連関を問い,構築主義的な視角によって権力を分析することも可能にした。さらにフェミニズムの視点と近代家族論の視点の親近性について問い,近代社会において公私がどのように編成されてきたのか,そのことによってジェンダーの編成がどのように明らかにされたのかを考察した。さらに家族研究からフェミニズム論にどのような課題が投げかけられるかを検討した後,近代家族を問う意味について,近代家族の変動の具体的な事象をあげながら分析した。
著者
千田 有紀
出版者
日本家族社会学会
雑誌
家族社会学研究 (ISSN:0916328X)
巻号頁・発行日
vol.12, no.1, pp.94, 2000

ジェンダーの意味にまつわる現代のフェミニズムの議論は、たいていの場合、何らかのトラブルの感覚に行きついてしまうと、著者はいう。しかしジェンダーの意味をひとつに決定できないことは、フェミニズムの失敗ではない。トラブルは、「女」という謎めいた事柄に関連させられたことであり、大切なのはトラブルを避けることではなく、トラブルに隠された秘密を暴き、うまくトラブルを起こすことである。このような意味が、本の題名には込められている。副題は、「フェミニズムとアイデンティティの撹乱」。セックス、ジェンダー、性的欲望と実践からなる一貫したアイデンティティや「女」という主体の存在に疑問を投げかけ、これらがいかに権力の法システムによって生産されるかを解き明かした、フーコー流社会構成主義の本である。<BR>構成は、第一章が「〈セックス/ジェンダー/欲望〉の主体」である。この章は『思想』にかつて翻訳された章で、本書の章のなかでもっとも有名な部分であり、基本的な分析の枠組みが述べられている。ここでは、生物学的なセックス、文化的に構築されるジェンダー、セックスとジェンダーとの双方の「表出」、つまり「結果」として表出される性的欲望のあいだに、因果関係を打ちたてようとする法システムに疑問が投げかけられる。その結果、法システムこそが、ジェンダー、そしてセクシュアリティ、さらにはセックスを生みだすのであって、セックスが、ジェンダーやセクシュアリティを生みだすのではないことがあきらかにされる。本書の主張は、この章に還元されるものではないが、やはりこの本の白眉であることは間違いない。<BR>第二章は、「禁止、精神分析、異性愛のマトリクスの生産」である。レヴィ=ストロースの構造主義にはじまって、フロイト、ラカンの主張が分析の俎上にのせられる。近親姦のタブーは、禁止することによって欲望を生み出す装置である。精神分析に関する分析がなされているぶん、家族社会学者には興味深い章だろう。<BR>最後に第三章、「攪乱的な身体行為」では、クリステヴァ、フーコー、ウィティッグまでもが、批判的に検討される。とくに男と女の対立を止揚するものとして「レズビアン」というカテゴリーをもちだすウィティッグに対する批判は、システムのなかで解放を語る難しさについて考えさせられる。
著者
千田 有紀
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.50, no.1, pp.91-104, 1999-06-30 (Released:2009-10-19)
参考文献数
32
被引用文献数
6 2

本論文では, 日本の家族社会学の問題構制をあきらかにする。家族社会学そのものをふり返ることは, アメリカにおいては, ロナルド・ハワードのような歴史家の試みが存在しないわけでもない。しかし日本の家族社会学自体が, どのような視座にもとづいて, 何が語られてきたのかという視点から, その知のあり方自体がかえりみられたことは, あまりなかったのではないかと思われる。日本の社会科学において, 家族社会学は特異な位置をしめている。なぜなら, 家族研究は, 戦前・戦後を通じて, 特に戦前において, 日本社会を知るためのてがかりを提供すると考えられ, 生産的に日本独自の理論形成が行われてきた領域だからである。したがって, 日本の家族社会学の知識社会学的検討は, 家族社会学自体をふり返るといった意味を持つだけではなく, ひろく学問知のありかた, 日本の社会科学を再検討することになる。さらに, 家族社会学は, その業績の蓄積にもかかわらず, 通史的な学説史が描かれることが, ほとんど皆無にちかかった領域である。そのことの持つ意味を考えながら, ある視角からではあるが, 家族社会学の理論・学説の布置連関を検討する。
著者
千田 有紀
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.50, no.1, pp.91-104, 1999-06-30
被引用文献数
2

本論文では, 日本の家族社会学の問題構制をあきらかにする。家族社会学そのものをふり返ることは, アメリカにおいては, ロナルド・ハワードのような歴史家の試みが存在しないわけでもない。しかし日本の家族社会学自体が, どのような視座にもとづいて, 何が語られてきたのかという視点から, その知のあり方自体がかえりみられたことは, あまりなかったのではないかと思われる。<BR>日本の社会科学において, 家族社会学は特異な位置をしめている。なぜなら, 家族研究は, 戦前・戦後を通じて, 特に戦前において, 日本社会を知るためのてがかりを提供すると考えられ, 生産的に日本独自の理論形成が行われてきた領域だからである。したがって, 日本の家族社会学の知識社会学的検討は, 家族社会学自体をふり返るといった意味を持つだけではなく, ひろく学問知のありかた, 日本の社会科学を再検討することになる。さらに, 家族社会学は, その業績の蓄積にもかかわらず, 通史的な学説史が描かれることが, ほとんど皆無にちかかった領域である。そのことの持つ意味を考えながら, ある視角からではあるが, 家族社会学の理論・学説の布置連関を検討する。
著者
小林 盾 山田 昌弘 金井 雅之 辻 竜平 千田 有紀 渡邉 大輔 今田 高俊 佐藤 倫 筒井 淳也 谷本 奈穂
出版者
成蹊大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2012-04-01

この研究は,「人びとがどのように恋愛から結婚へ,さらに出産へと進むのか」を量的調査によってデータ収集し,家族形成における格差を解明することを目的としている.そのために,「人びとのつながりが強いほど,家族形成を促進するのではないか」という仮説をたてた.第一年度に「2013年家族形成とキャリア形成についての全国調査」をパイロット調査として(対象者は全国20~69歳4993人),第二年度に「2014年家族形成とキャリア形成についてのプリテスト」(対象者204人)を実施した.そのうえで,第三年度に本調査「2015年家族形成とキャリア形成についての全国調査」を実施した(対象者1万2007人).