- 著者
-
松本 俊吉
- 出版者
- The Philosophical Association of Japan
- 雑誌
- 哲学 (ISSN:03873358)
- 巻号頁・発行日
- no.47, pp.286-295, 1996
かつてカントやフッサールが夢見たような超越論哲学の理想-すなわち、いかなる先入見をも排去した純粋な反省的思惟によって我々の認識の<普遍的構造>を取り出し、それを基礎に万人の認識行為が準拠すべき規範を提示し、さらにそれに則って我々が現実に所有している信念や知識を正当化しようという企図-は、遂行不可能な非現実的な理想であったというのが、知識を論ずる近年の哲学的言説の共通了解となりつつあるようである。そうした趨勢に棹さすものとしては、歴史主義、文化相対主義、知識社会学、プラグマティズム、進化論的認識論、自然主義など様々な思潮が見出され、上述のような理想を抱く哲学的立場-本稿で我々はこれを<哲学的認識論>と呼ぶことにする-は、あたかも四面楚歌の如き状況に置かれている。<BR>ところでこれらの諸思潮は概して、哲学的認識論の立場を<廃棄>し、哲学的認識論固有の問題構制などは初めから存在しなかった、ないしは問題とするに値しないものであった、という類の論法をとりがちであるのに対し、私見によれば、自然主義の主張はその最も原理的なレベルで、哲学的認識論の立場と相対峙するように思われる。本稿は、こうした見地からこの両者の対立点を明確化し、それについて検討を加えつつ、哲学的認識論の基本的発想の、現代においてもなお否定し去ることのできない有効性を示そうとするものである。