- 著者
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山口 覚
- 出版者
- 人文地理学会
- 雑誌
- 人文地理学会大会 研究発表要旨
- 巻号頁・発行日
- vol.2011, pp.27, 2011
本発表では,主に1984年制定の尼崎市都市美形成条例を対象として,その運用例や,市の財政難などにともなう運用上の変化を確認する。同条例は「狭義」の景観行政に関わるものであり,今回の発表ではその部分に焦点を当てる。ただし「まちづくり」全般と関わる「広義」の景観行政にも必要に応じて言及する。 その際には,行政(や研究者)による「都市」表象との関係にも留意する。自市をいかなる「都市」と見なすかによって,その時々の行政の在り方は変容する。都市景観行政は「都市」それ自体が置かれた複雑な流動的状況や,その時々のトレンドにに左右される「都市」表象を色濃く反映するのである。 より具体的な事例の内容としては,1980年代以降における尼崎市の狭義の景観行政の整理,旧尼崎城下町の一角を占める「寺町」を中心とした景観行政の注力とその変化,それを裏付ける市財政における景観行政の位置づけの変化などを取り上げる。脱工業化,バブル崩壊,阪神大震災の影響といった広範なコンテクストの変化の中で様々に変化してきた景観行政は,「市民派」市長のもとで決定的に弱体化されていき,自他ともに「市民」と認めるであろう寺町住民と行政との間で「寺町マンション建設問題」という形でのコンフリクトを生じせしめるに至る。この間に尼崎市は,「独自の歴史を有する個性ある都市」との表象から,「大阪大都市圏における住宅都市」というようにその表象を大きく変容させている。 都市景観行政論を幅広い都市論の中に置き直して再考することが最終的な目標となるが,この発表それ自体では,尼崎市都市美形成条例に関する詳細な事例の紹介を中心におこないたい。