著者
山口 覚 村上 英記 大志万 直人
出版者
公益社団法人 日本地震学会
雑誌
地震 第2輯 (ISSN:00371114)
巻号頁・発行日
vol.54, no.1, pp.17-31, 2001-07-15 (Released:2010-03-11)
参考文献数
11
被引用文献数
1

Many types of luminous phenomena were observed at the 1995 Hyogo-ken Nanbu earthquake (Kobe earthquake) of January 17, 1995. A questionnaire survey was done regarding luminous phenomena in order to determine 1) spatial distribution of eyewitnesses of luminous phenomena; 2) origin-times and duration-times of the phenomena; 3) properties of lights, such as color, shape, and brightness.Out of 798 people surveyed, 31 answerers (3.9% of the total) reported that they had observed luminous phenomena. Characteristics of the phenomena may be described as follows; a) More than 50% of the eyewitnesses were within 10km of the epicenter of the main shock. b) Almost all observations of the phenomena occurred simultaneously, or at a maximum of 2-3 minutes from the arrival of the seismic wave to the eyewitnesses' location. c) The duration-time of the phenomena was less than 30 seconds. d) The gross form of luminescence was a belt of light or curtain shape. e) The colors of luminescence were white, blue, and orange, while blue-white was predominant.
著者
山口 覚 喜多 祐子
出版者
学校法人 関西学院大学先端社会研究所
雑誌
関西学院大学先端社会研究所紀要 (ISSN:18837042)
巻号頁・発行日
vol.11, pp.11-26, 2014 (Released:2021-05-15)

専門家の系図学 (genealogy) とともに、一般の人々による先祖調査 (popular genealogy) が世界中で実施されている。欧米諸国では先祖調査ブームと言い得る状況が長期的に見受けられ、アレックス・ヘイリーの『ルーツ』(1976年)はその象徴となる。日本でも先祖調査の「静かなブーム」が確認されるが、先祖調査の展開について整理されたことはこれまでほとんどなかった。本稿の課題は日本における先祖調査の展開を整理することにある。日本では『ルーツ』とはほとんど無関係に、1970年代には先祖調査ブームが生じていた。2000年代以降でも関連する様々な動きが見出される。先祖調査はいわゆる家意識と結びつく面もあるが、実際にははるかに多様な実践となっている。たとえば、近親者を中心としたパーソナルな家族史 (family history) への志向があり、他方ではテクノロジーの進化や情報整理の進展によって巨大な家系図の作成も可能となりつつある。先祖の故地や自身の苗字と同じ地名をめぐる先祖ツーリズムも珍しくない。先祖調査は趣味としての側面を強めているのである。
著者
山口 覚
出版者
学校法人 関西学院大学先端社会研究所
雑誌
関西学院大学先端社会研究所紀要 (ISSN:18837042)
巻号頁・発行日
vol.7, pp.115-131, 2012 (Released:2021-05-15)

後期資本主義の時代における脱工業化の進展の中で、関西の産業界は厳しい状況に置かれている。また、資本や人のグローバルな移動によって「世界都市」としての東京の位置づけが強まっている。関西の衰退と東京一極集中という空間の再編成のもとで、もともと移動性が低かったはずの関西の私鉄系不動産資本による首都圏への進出という現象が確認される。1970年頃における近鉄不動産の先行例もあるが、2000年以降には京阪電鉄不動産、そして本稿で扱う阪急不動産が新たに首都圏への進出を開始した。鉄道沿線開発というビジネスモデルないし「阪急文化」を重視してきたはずの阪急不動産がなぜ、いかに首都圏進出を進めてきたかを明らかにする。
著者
坂田 宏 砂川 慶介 野々山 勝人 佐藤 吉壮 春田 恒和 尾内 一信 山口 覚
出版者
一般社団法人 日本感染症学会
雑誌
感染症学雑誌 (ISSN:03875911)
巻号頁・発行日
vol.85, no.2, pp.150-154, 2011-03-20 (Released:2015-04-06)
参考文献数
8
被引用文献数
2 2

2004 年 4 月から 2007 年 1 月までに 108 の調査協力施設で診療した 466 例の細菌性髄膜炎の中から,検討委員会において診断が不確実な例,評価不能な例などを除外した小児例 339 例について,初期治療薬と予後の関係を検討した.予後不良は発症後約 3 カ月の調査で四肢麻痺,難聴,てんかんなどの後遺症を有していた例とし,43 例(12.7%)が該当した.年齢や原因菌によって有意差はなかった.発症から治療までの期間が 4 日を越えるとそれ以前に治療開始した例に比べて有意に予後不良例が多かった.予後不良率は panipenem/betamipron (PAPM/BP) と ceftriaxone (CTRX) 併用が 64 例中 4 例 (6.4%),MEPM と cefotaxime (CTX) 併用が 57 例中 6 例 (10.5%),meropenem (MEPM) と CTRX 併用が 50 例中 7 例 (14.0%),CTRX 単剤は 23 例中 0 例であった.MEPM は 42 例中 11 例 (26.2%) で予後不良率が高く,PAPM/BP と CTRX 併用,MEPM と CTX 併用,CTRX 単剤の治療方法とそれぞれ有意差を認めた(p<0.05).MEPM の単独での初期治療は単独投与より併用療法を行うことが望ましいと考えられた.
著者
山口 覚
出版者
人文地理学会
雑誌
人文地理学会大会 研究発表要旨
巻号頁・発行日
vol.2008, pp.505, 2008

1999年に実施された権限委譲によってスコットランドは一定の自治権を得た。スコットランドは1つの国家としての体裁を整えつつあり,独立論も強まっている。しかし外交や軍事とともに移民政策の権限はロンドンのウェストミンスター議会が保持しており,移民政策の実務は内務省が担当している。こうした権力の二重構造にあるイギリス/スコットランドにおいて,アサイラム・シーカー(庇護申請者)がいかに遇されているのかを報告するのがこの発表の目的となる。 アサイラム・シーカーとは,出身国での受難から逃れ,1951年のジュネーブ条約で規定された「条約難民」としての認定を受入国に求める人々のことである。しかしながら,ジョルジョ・アガンベンが言うように,難民やアサイラム・シーカーを「例外状態」として生殺与奪を欲しいままにすることこそが近代国民国家の主権を保障する。よって相当数のアサイラム・シーカーは難民認定されず,国外退去を勧告されるのである。 内務省入国管理・国籍局のもとで2000年に設立されたNASS(National Asylum Support Service)は,アサイラム・シーカーに対して強制分散政策(policy of compulsory dispersal)を採っている。難民認定の審査期間中,アサイラム・シーカーは各地の地方自治体の所有する公営住宅に配分されるのである。これは,できるだけ早く認定難民をイギリス社会に定着させるという建て前のもと,ロンドン周辺へのアサイラム・シーカーの集中を避け,余剰公営住宅のある自治体に負担を分散させるためのものである。その最大の居住地となっているのがスコットランドのグラスゴーである。しかしスコットランド政府は,「自国」内部にいるアサイラム・シーカーを直接支援することも排除することもできない。 アサイラム・シーカーが難民認定されなかった場合には国外退去が命じられる。しかし強制分散政策ではイギリス社会に一定の根を張ることが意図されており,実際にそうなるケースも多い。こうして退去が命じられても残留し続ける者が多数となる。それに対抗して内務省の権限で実施されるのが「朝駆け」(dawn reid)を含む強制退去である。スコットランドでは政府(行政府)を含めてその手法に対する批判が多い。そのため,2007年には「新戦術」として,朝駆けによって拘束されたアサイラム・シーカーがスコットランドにあるダンガヴェル拘留センター(Dungavel detention centre)ではなく,イングランドのヤールズウッド(Yarl's Wood)拘留センターにまで極秘に移送されたケースも確認されている。 スコットランド政府は,「自国」内部でのロンドン/内務省による排除の手法を批判しつつも直接には何もなし得ないため,アサイラム政策を含む移民政策の権限委譲を求めることになる。しかし,もし権限委譲がなった場合には,アサイラム・シーカーの処遇は少しでも良好なものになるのであろうか。
著者
岡田 真介 坂下 晋 今泉 俊文 岡田 篤正 中村 教博 福地 龍郎 松多 信尚 楮原 京子 戸田 茂 山口 覚 松原 由和 山本 正人 外處 仁 今井 幹浩 城森 明
出版者
社団法人 物理探査学会
雑誌
物理探査 (ISSN:09127984)
巻号頁・発行日
vol.71, pp.103-125, 2018 (Released:2018-12-28)
参考文献数
43
被引用文献数
2

活断層の評価を行うにあたっては,断層の地下形状も重要な情報の1つである。地下数十m以深の情報は,主に物理探査の結果から得ることができる。これまでには,物理探査は横ずれ活断層にはそれほど多く適用されてこなかったが,本研究では各種の物理探査を行い,横ずれ活断層に対する物理探査の適用性について検討した。対象地域は,近畿地方北西部の花崗岩地域に分布する郷村断層帯および山田断層帯として,4つの測線において,多項目の物理探査(反射法地震探査・屈折法地震探査・CSAMT探査・重力探査)を実施した。その結果,反射法地震探査は,地表下200〜300 m程度までの地下構造を,反射面群の不連続としてよく捉えていた。しかし,活断層の変位のセンスと一致しない構造も見られ,他の物理探査の結果と比較する必要があることがわかった。屈折法地震探査は,原理的に断層の角度を限定することは難しいが,横ずれ活断層の運動による破砕の影響と考えられる低速度領域をよく捉えることができた。CSAMT探査では,深部まで連続する低比抵抗帯が認められ,地下の活断層の位置および角度をよく捉えていたが,活断層以外に起因する比抵抗構造変化も捉えていることから,他の探査との併用によって,その要因を分離することが必要である。重力探査は,反射法地震探査と同様に上下変位量の小さい横ずれ活断層に対しては適さないと考えられてきたが,測定の精度と測定点密度を高くすることにより活断層に伴う重力変化を捉えることができた。
著者
山口 覚
出版者
地理科学学会
雑誌
地理科学 (ISSN:02864886)
巻号頁・発行日
vol.57, no.1, pp.23-44, 2002-01-28 (Released:2017-04-20)
参考文献数
46
被引用文献数
1

Since islands of Okinawa was incorporated into Japan, many Okinawan people have been in a little difficult position. For example, the migrants from Okinawa in the cities of mainland Japan (Hondo) were often discriminated in the employment opportunities. And because islands of Okinawa was ruined in World War II, many Okinawan migrants were left in the mainland, and they had to live in the postwar severe situation. In this paper, I will examine the urban lives of Okinawan migrants in Hyogo prefecture (especially postwar Amagasaki, Takaradsuka, Itami and Kobe city) and their various forms of networks, groups and places to live in and to resist oppressed situation. The association of people from Okinawa prefecture (Okinawa-Kenjinkai-Hyogoken-Honbu) was one of the most cohesive group, it was made by `Okinawa' as a social category and as a symbol of concentration for some social and political purposes. In Amagasaki and Takaradsuka city, these cohesions like Kenjinkai had made it possible for some assemblymen who were native of Okinawa to win the local elections, for example. When the people who lived in the concentrated areas had some political purposes, these areas became the cohesive places to resist their opponents. But these cohesions were ad hoc. Because each migrants lived in different geographical and social context, their each individual living strategies and tactics were complicated, and each migrants had extended their own personal networks which included neighbors who were not native of Okinawa. So even in their concentrated areas, their individual social and political senses were not always in unison. Okinawan migrants had become urbanites in urban settings. It is said that discrimination in the employment opportunities was to some extent eased in the high-growth period, so their lives have changed for the better. And the main role of Kenjinkai have become enhancing mutual friendship.
著者
山口 覚
出版者
地理科学学会
雑誌
地理科学 (ISSN:02864886)
巻号頁・発行日
vol.53, no.1, pp.44-60, 1998-01-28 (Released:2017-04-20)
参考文献数
27
被引用文献数
1

In local election, most candidates get votes from their home district. This is called "friends and neighbours effect" or "local effect" in electoral geography. But candidates of citizen groups, as one of the new political movements, perform election activities and get votes across large area, becase they are supported by the network of various people beyond existing community power structure. The candidates of organized party, the Japan Communist Party and the Komeito, build strong relationships to his/her neighbours, in the process of strategic assignment of party members' votes to them. This paper surveys the relationship between candidates of citizen groups/the Japan Communist Party and his/her home district in Amagasaki city council election, 1997. In this election, four candidates of citizen groups claimed whole municipal issue, council reforming, as in the last election (1993). They not only maintained and newly constructed broad network of citizens, but this tme they also did locally-oriented election activities. There were two reasons why they regarded each home district as importnat. i) Three of them who had won the last election build relationship to their neighbours during their term of office, and ii) many voters wanted their local representatives because of the influence of the Great Hanshin-Awaji Earthequake (1995) etc. However the candidates' attitude toward home district and their spatial spheres of election activities varied considerably. These factors affected each scope of votes and even the electoral results. This paper illustrates the assigned zones of the Japan Communist Party. These zones determined the spheres of votes of the candidates and enabled them to get solid votes. Additionally, in the official gazette for election, the candidates promised to consider local interests to the neighbours of their own zones.
著者
山口 覚
出版者
人文地理学会
雑誌
人文地理学会大会 研究発表要旨
巻号頁・発行日
vol.2011, pp.27, 2011

本発表では,主に1984年制定の尼崎市都市美形成条例を対象として,その運用例や,市の財政難などにともなう運用上の変化を確認する。同条例は「狭義」の景観行政に関わるものであり,今回の発表ではその部分に焦点を当てる。ただし「まちづくり」全般と関わる「広義」の景観行政にも必要に応じて言及する。 その際には,行政(や研究者)による「都市」表象との関係にも留意する。自市をいかなる「都市」と見なすかによって,その時々の行政の在り方は変容する。都市景観行政は「都市」それ自体が置かれた複雑な流動的状況や,その時々のトレンドにに左右される「都市」表象を色濃く反映するのである。 より具体的な事例の内容としては,1980年代以降における尼崎市の狭義の景観行政の整理,旧尼崎城下町の一角を占める「寺町」を中心とした景観行政の注力とその変化,それを裏付ける市財政における景観行政の位置づけの変化などを取り上げる。脱工業化,バブル崩壊,阪神大震災の影響といった広範なコンテクストの変化の中で様々に変化してきた景観行政は,「市民派」市長のもとで決定的に弱体化されていき,自他ともに「市民」と認めるであろう寺町住民と行政との間で「寺町マンション建設問題」という形でのコンフリクトを生じせしめるに至る。この間に尼崎市は,「独自の歴史を有する個性ある都市」との表象から,「大阪大都市圏における住宅都市」というようにその表象を大きく変容させている。 都市景観行政論を幅広い都市論の中に置き直して再考することが最終的な目標となるが,この発表それ自体では,尼崎市都市美形成条例に関する詳細な事例の紹介を中心におこないたい。