著者
清水 克志
出版者
人文地理学会
雑誌
人文地理学会大会 研究発表要旨
巻号頁・発行日
vol.2011, pp.51-51, 2011

<B>I.はじめに</B><BR> 現代の日本人が口にする野菜には、明治期に導入された外来野菜が多く含まれているが、それらのうち、キャベツ・ハクサイは、明治後期以降に新たな調理法が考案され、食習慣が定着することにより、昭和戦前期までに普及が進展した品目であることが明らかとなっている。本発表では、キャベツ・ハクサイを事例として、日本最大の都市である東京の流通関係資料をもとに産地構成や流通量、価格の変化などの実態を提示することにより、昭和戦前期における外来野菜の大衆化について考察する。<BR><B>II.輸送園芸産地の台頭</B><BR> 東京市場における野菜の産地別入荷割合は、1921(大正10)年の時点では、全ての品目で、東京府と隣接する埼玉・千葉・神奈川が大部分を占め、近郊産地が圧倒的な地位を誇っていた。また、外来野菜の入荷量は、キャベツが94万貫、タマネギが19万貫、トマトが0.6万貫に過ぎず、ハクサイに至っては、他の非結球ツケナ類と一括され、独立した品目としての地位を獲得していなかった。<BR> 1937(昭和12)年になると、ダイコン(17,669万貫)在来野菜の首座を占めることには変わりがないが、キャベツ(12,529万貫)は、岩手、静岡、愛知、沖縄、長野、大阪など、ハクサイ(11,939万貫)は茨城、群馬、静岡、宮城などの産地から大量に輸出されるようになった。また、同年の品目別の取扱高は、ハクサイが165.3万円(5.94%、3位)、キャベツが139.0万円(4.78%、4位)であり、ダイコン、キュウリに次いで多くなった。結球野菜であるキャベツ・ハクサイは共に、昭和戦前期に至り、鉄道を利用した輸送園芸産地の確立によって、ダイコンに次ぐ主要品目の地位を獲得したといえる。<BR><B>III.価格の低廉化と大衆化</B><BR> 大正後期の東京府では、明治後期以降の急激な人口増加に加え、第一次世界大戦後の深刻な物価問題などにより、生活必需品である生鮮食料品の流通状況を改善する機構整備が急務となっていた。1923年の中央卸売市場法の公布により、東京市では、同年に江東青果市場が、1928年に神田青果市場が市設市場として竣工した。<BR> 東京市場におけるの月別の取扱量と平均価格をみると、キャベツは1924年には東京近郊産の出荷期である6~8月の取扱量が最も多く、平均価格も底値を示すのに対し、冬季から春季にかけての各月は取扱量が未だ僅少であり、4~5月には平均価格も高騰して端境期を形成していた。1934年になると、各月ともに取扱量が急増しているが、とくに岩手・長野産の出荷期にあたる9~10月と12月の取扱量が、東京近郊産の出荷期で、1924年には最大の取扱量を誇っていた6月の取扱量を上回るようになるとともに、6月から11月にかけての期間は、平均価格が底値に近い値で安定的に推移するようになった。また1~3月には広島と愛知、4~5月には静岡、8月には群馬がそれぞれ新興産地として台頭し、平均価格の最高値も大幅に低下している。<BR> 一方のハクサイは、1928年には10~12月の3ヶ月間のに全取扱量の94%が集中していた。1934年になると、取扱量が飛躍的に増加するとともに、1月から3月にも一定の取扱量があり、出廻期が長期化する傾向が確認できる。産地構成についてみると、両年度とも、10月以降には宮城産・栃木産・東京近郊産が、12月から翌年の1~2月にかけて茨城産・静岡産が入荷するパターンは変わらないが、1934年になると、秋季に福島・岩手・山形・群馬などの後発産地が乱立し、このことが入荷量の急増と、平均価格の着実な低下に繋がったとみられる。<BR><B>IV.結びにかえて</B><BR> 都市大衆層への具体的な普及の実態については、紙幅の関係上、詳述することはできないが、同時期の東京では都市大衆層を対象とした大衆食堂や学校給食におけるキャベツやハクサイの利用実態がすでに指摘されているほか、東京府下の農家においても、「近年蕃茄(トマト)、白菜、甘藍(キャベツ)等は新たに副食物として需要され始めた(中略)農家でも最近自製の洋食が多くなった」(帝国農会1935;228、引用中のカッコ内は筆者補入)など、都市部で醸成された新たな食文化が近郊農村へも浸透しつつあった。このように、キャベツ・ハクサイは、昭和戦前期において、複数の輸送園芸産地が台頭し、取扱量の急激の増加と、それに伴う価格の低廉化、出廻期の長期化が起こった結果、都市大衆層や近郊農家を含め、幅広い階層への普及が著しく進んだとみられる。以上のことから、昭和戦前期は、外来野菜の大衆化にとって、現代へと続く主産地が形成された高度経済成長期に優るとも劣らぬ、重要な普及の画期とみなすことができる。

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白菜は外来で明治時代に入ってきたものですね。食文化として調理法が普及したのは昭和初期。大河ドラマの時代に白菜鍋はありえないですね…(^_^;) https://t.co/I8F4LeTsxT https://t.co/YEoVNcQvfb

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