- 著者
-
木下 秀明
- 出版者
- 一般社団法人 日本体育学会
- 雑誌
- 日本体育学会大会予稿集
- 巻号頁・発行日
- vol.67, pp.88_3-88_3, 2016
<p> 日本水泳連盟の前身である大日本水上競技聯盟(以下「水連」)は、大日本体育協会が競技団体連合体に改組するのを機に、1925(大正14)年4月24日に国際水泳競技界を念頭に置いて設立された。これに対し、その半年後の同年10月1日に武道である日本泳法の競技としての向上普及を目指して発足したのが、日本游泳聯盟(以下[游連」)で、隅田川水練場の系譜とされる。文部省が学生参加を事実上禁止した1926年の第3回明治神宮競技大会「水上競技」では、その準備委員の主体は水連ではなく游連であって、プログラムは、前回実施種目を踏襲した第1部と新規の日本泳法種目だけの第2部の二本立てとされた。ともに創立間もない時期にあった水連と游連とは、甲乙つけがたい存在だったのである。しかし、游連は1930年以降神宮大会運営から除外され、水連との協調にも失敗して弱小団体化した。その終焉は不明であるが、1941年には日本泳法の競泳と競技の第14回大会を開催している。水連は1931年に標準泳法を制定し、1933年に水泳史研究会を発足させた。発表では、これが、游連を意識しての措置であったことを明らかにする。</p>