- 著者
-
森野 正弘
- 出版者
- 日本時間学会
- 雑誌
- 時間学研究 (ISSN:18820093)
- 巻号頁・発行日
- vol.5, pp.1-13, 2015
『源氏物語』松風巻には、光源氏が大堰で暮らす明石の君のもとを訪問する条がある。その出発に際し、京で待つことになる紫の上は、今回の旅行が「斧の柄が朽ちる」ほど長い期間になるであろうと、漢籍に見える「爛柯」の故事を引用して皮肉を述べる。この故事は、異郷を訪れた者が束の間の経験をして現実世界へ戻ってみると、世代が替わるほど長い時間が経過していたというもので、異郷での時間がゆっくり進む話として捉えることができる。従来はこの引用について、典拠の指摘や紫の上の発言の解釈など、局所的な問題として論議される傾向にあった。これに対して本稿では、この故事の引用が光源氏の旅行の最終日にも認められる点に着目し、旅行全体が「斧の柄の朽ちる」時間として形象されている可能性について考察を展開することになる。 旅行中に描かれてくる人物たちの動向を観察してみると、光源氏をはじめとして、明石の君、頭中将、なにがしの朝臣といった人々がみな一様に失速している様子をうかがうことができる。加えて、「二三日」の予定であった旅行の日程は四日間に延長し、京にいる帝や紫の上を待たせる結果となる。光源氏は「爛柯」の故事さながらに、異郷で間延びした時間を過ごし、京という現実世界へ戻ってくるのである。「爛柯」の故事引用は、単なる修辞的次元に止まらず、そこに展開される異郷訪問譚の構造や時間の歪みをも組み込む契機として機能していると言える。