- 著者
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長谷川 奨悟
- 出版者
- 公益社団法人 日本地理学会
- 雑誌
- 地理要旨集
- 巻号頁・発行日
- vol.2013, 2013
1.はじめに〈BR〉本研究は,近世・近代の京都および,近世の大坂において,「名所」とされた場所や景物をめぐる「場所認識」(「名所観」)や,名所案内記の編者(多くの場合は知識人層)によって創られた「場所イメージ」の生産(再生産)をめぐる諸様相について,人文地理学的視点から検証を進めるものであり,本報告は,これを進めていくにあたって,必要な問題設定を行なうための手がかりとなる概念的整理を旨とするものである。2.知識人層の場所認識〈BR〉日本の近世から近代のある時期までは,例えば学者や俳諧師などといった知識人層が,その場所で語られる由緒や伝説といった「過去の事象」,あるいは,現在の繁華な様相に基づいて,注目すべき場所や景物を「名所」として見出していく。彼らは,名所地誌本の編纂(著述)を通じて,「名所」という場所イメージの生産(もしくは再生産)の実践をおこなっていたとみなすことができる。このことから,名所をめぐる問題に取り組むにあたり,(1)「名所」とは,経験や知識の集積によって構築された価値観に基づいた何かしらの場所認識や,まなざしによって見いだされ,知識人たちによって生産(あるいは,再生産)された差異の表象であり,場所イメージの1つであること。(2)それらは,旅や読書という行為を通じて一般大衆に受け入れられた文化的事象であると報告者は捉えてみたい。3.メディアとしての名所地誌本・名所絵〈BR〉スクリーチ(1997)は,「名所図会」は旅をしない人々に需要があったのであり,場所をめぐる口桶的な伝統に入った裂け目が名所図会を生んだのだと説く。さらに, (1)無知な人がある場所のことを一応すぐわかることができること。(2)他の人間との関わりなしでも物知りになれること。という2つの機能があったと指摘する。佐藤(2012)は,名所絵(泥絵/浮世絵)とは,景観の見方の規範を生産する文化装置であったことを説き,それぞれの絵画の差異にはその規範の対象なる読者(様々に規定された「共同体」)の「トポフィリア(場所愛)」が結びついた重層的な場所イメージの違いが想定されていた可能性を見いだした。さらに,名所地誌本(の挿絵)や,江戸泥絵などについて,トポグラフィ-場所を描く視覚的表象-としてとらえ,視覚文化の枠組みから捉え直す必要性を述べる。4.文化的構築物としての名所 〈BR〉名所とは,和歌に詠まれる「歌枕」がその原意であり,古代における名所とは,和歌において重要な役割を担うものであり,知識としての場所認識であったといえる。鶴見(1940)によれば,中世には名所や風景をめぐる場所認識は,中国の山水思想などの影響を受けたという。近世には名所地誌本の刊行や庶民文化の発達によって,名所とされる場所は多様化し,近代初頭には,西洋風の近代建築が名所として認識されるなど,時代的・文化的変遷によって,名所とされる場所や景物,さらにその価値付けが変化する流動的な側面を持つと指摘できる。これについて,場所をめぐる概念について整理した,大城(1994)の成果を援用すれば,名所と見なされる場所もまた文化的構築物の一形態であるとみなすことができよう。〈BR〉また,秋里籬島が,『都名所図会』において「京らしさ」や「上方文化」の表象を試み,『江戸名所図会』の編者である斉藤月琴は,江戸の優位性や江戸の特異性を,名所図会というメディアを通じて世間に知らしめることを試みている。つまり,自身が住まう都市に対する都市や,場所への誇り,あるいは,都市や場所をめぐる特定のとらえ方が,自身の作品である名所地誌本に反映されているという見方ができるであろう。5.おわりにかえて〈BR〉名所をめぐる問題には,地理学において議論されてきた「場所」の地域性や差異,つまり,名所とされる場所や景物には,その地域で生成されてきた風土や文化といった諸コンテクストが大きく関与しているという視点に立っての検証が必要となろう。そして,土居(2003)が指摘する「トポグラフィティ」や,トゥアンの「トポフィリア」をめぐる概念が有効な手がかりの1つとなろう。