著者
島津 弘
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2013, 2013

関東平野北部の荒川,利根川によって形成された河川地形分布域はきわめて複雑な構造をしている.一方,この地域は近世以前の河川災害や社会状況を念頭に教訓に水塚をはじめとした防災システムがつくられてきた.これらは,日本一の川幅を誇る荒川堤外地に象徴される近代治水システムの整備とともに顧みられないどころか邪魔者扱いされるようになった.しかし,ひとたび破堤すると,自然に近い河川の姿が現れるとともに,現在の強固な治水システムが災害を拡大させる可能性がある.本発表では荒川扇状地,妻沼低地,荒川低地の範囲を中心に,河川地形の特徴と自然の洪水時の水の流れを総括し,伝統的な防災施設の現状について述べる. 本発表の範囲には荒川扇状地,妻沼・加須低地,荒川低地,大宮台地がある.低地には河道跡,自然堤防,後背湿地という地形が見られる.一般的には台地は本川の低地から高いところにあるが,大宮台地の北西部(上流側の行田,熊谷寄り)は低地に埋没し,低地との比高がほとんどない.荒川,利根川ともに現在の河道の様子はそれぞれ熊谷,妻沼で大きく変化する.上流側は流路が分岐・合流をくり返す網状流路を呈するのに対し,下流側の流路は1本となり自然状態では激しく蛇行している.この変化は流下する川の流れ,氾濫の形態,流下する土砂の性質の違いとなってあらわれる.荒川と利根川は別の河川として認識されているが,これは,完新世後期から中世までの自然による地形形成と河道変遷に加え,近世における河川の付け替え工事,さらには大正期の大規模河川改修の結果である.大矢ほか(1996)が指摘し,小暮(2011)が明らかにしたように,8世紀頃まで利根川は妻沼低地から南下し,荒川低地で荒川と合流ししていた.その痕跡は自然堤防の分布,配列方向に見ることができる.また,大宮台地北西端は継続して埋積する環境にあった.一方,荒川の主流路が扇状地を北東流し,妻沼低地で利根川と合流していた時期もあったと考えられる.以上のように本地域は2つの大河川の動きとさまざまな地形が複雑に絡み合った構造をしている. 以上の地形的特徴は河川災害にもあらわれる.上流側網状流区間,扇状地地域では,分流,強い流れ,礫の流下で特徴付けられ,下流側の蛇行区間,低地地域では,平面的な流れ,湛水,砂や泥の流下・堆積で特徴付けられる.また,近世以前の自然状態の水の流れが再現されることにもなる.これら河川災害を被る地域は破堤の位置と密接に関係している.荒川の扇状地地域で破堤した場合は,扇状地上の河道跡を勢いの強い水が幾筋にも分かれて流下し,扇端部の広い地域で湛水する.河道跡にある建物は破壊されることもある.利根川の妻沼低地で破堤した場合は,氾濫水は以前の利根川に沿って南流し,元荒川など東西方向の自然堤防や現在の荒川本堤防で堰上げが生じ,行田地域では「石田三成による忍城の水攻め」のときの風景が再現される可能性がある. 低地では現代の治水システムの影響を考慮する必要もある.堤内地へ氾濫した水は自然状態であれば下流で河川に戻る可能性があるが,高く強固な堤防で川と隔絶された堤内地では,堤防で堰き止められて長期間湛水する可能性もある. 荒川低地の吉見,川島地域には近世につくられた「大囲堤」などの輪中堤がある.また,個々の家では災害に備えるためにつくられた敷地内に高く盛土した場所に貴重品や食料などの備蓄を行う蔵「水塚」があった.堤防は残存または強化されているところが多いが,水塚は現在でも見ることができるものの,その数は最近でも減少し続けている.利根川沿いに位置し,かつて水塚が多数存在していた日向集落で2009年に行った調査では,強固な堤防があるので伝統的な水塚は必要を感じず壊したと回答した家も多かった.実際に被災する可能性は低くなっているとはいえ,河川災害に備える意識までも低くなっているとすれば問題である.

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