著者
島津 弘
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2014, 2014

<b>1.はじめに</b> <br>仙台平野は2011年東北地方太平洋沖地震による津波被害を受けた.名取川に沿って津波はおよそ6km遡上した.名取川下流堤外地は伝統的土地利用慣行が残り,高水敷は現在でも民地として耕作が行われ,これらの農地は津波遡上の被害を受けた.地震津波災害以降,名取川では複数回の洪水が発生し,高水敷にも氾濫した.このとき津波堆積物や塩分が流されるとともに,一部の農地は再び被害を受けた.津波災害後,放棄されたままの農地もあったが,多くは再耕起された.しかし,その後放棄される農地が拡大してきた.本発表では津波遡上およびその後の洪水時の水の流れと高水敷への影響を河川の微地形との関係から明らかにし,耕作放棄およびその拡大との関わりを検討した.現地調査は2011年5月(被害状況,表層堆積物),8月(農地の復興状況,津波被害聞き取り),2012年11月(地形断面測量,その後の洪水による影響,耕作放棄の状況),2013年11月(耕作放棄の状況)に行った.また,耕作放棄状況の把握には空中写真およびGoogle Earthの画像も用いた.&nbsp;<br><b>2.名取川堤外地の微地形と津波遡上プロセス<br></b> 名取川堤外地の微地形と津波遡上の概要についてはすでに報告した(島津,2012,日本地理学会発表要旨集82).堤外地部分は流路となっている低水敷と平水時の水面とは2m程度の比高がある氾濫原である高水敷に分けられる.高水敷は2段の地形面に分けられる.地形面上には流路跡と考えられる縦断方向に延びる浅い凹地が見られる. 河口からの距離に応じて遡上した津波の強さと卓越するプロセス,微地形との関係が異なる.河口~2.5kmでは高水敷における水深が4m程度に達し,遡上および引き波による強い侵食が生じた.2.5km~4kmでは高水敷における水深は3m程度で堆積プロセスが卓越した.4km~5kmでは津波の深さが急に浅くなった.微地形の高まり部分は水没しなかったが,そのほかの部分では水流があり,堆積が生じた.5km~6kmでは微地形の低まりの部分を津波が遡上した.津波が遡上した部分ではわずかに堆積が生じた.<b>&nbsp;<br></b><b>3.津波災害後の河川洪水による高水敷への影響<br></b> 津波災害後の2011年9月,2012年5月,6月に流域で豪雨が発生した.調査地域の上流端の名取橋におけるこれらの出水時の最高水位は平水時の+4~4.5mであった.聞き取りによると高水敷上に氾濫し,河口から4km地点より上流側における影響が大きかった.微地形の低まりの部分では湛水したこともあり,作付けされていた作物が大きな被害を受けた.一方,高まり部分も影響を受けたが,被害の程度は小さかった.氾濫水が低まりの部分を集中的に流下したことが推定できる.2012年11月の観察では,堤防沿いの微地形の低まりの部分では,観察直前の雨で湛水していた.このような部分で耕作を行っている人もいたが,降雨後にしばしば湛水するようになったとのことである.<br>&nbsp;<b>4.津波災害後の耕作放棄地の拡大と微地形の関係<br></b> 津波災害後の5月上旬に現地に入ったときには,盛んに再耕起が行われていた.一方,そのままで放置された農地も多く存在していた.そのような農地は2.5kmより河口寄りに多く,津波による被害程度が大きかっただけでなく,閖上地区では耕作者の死亡,移転により放棄されたところもある. 一度,上流寄りでも再耕起されない場所や,再耕起されたところでもその後放棄された場所も見られた.それらは微地形の低まりの部分に集中し,帯状に分布している.以上のことから,高水敷の微地形が津波遡上とその際の地形プロセスに影響しただけでなく,その後の河川洪水の際も大きく影響した.排水不良地を形成し,その結果そのような場所が耕作放棄につながったと考えられる.
著者
島津 弘
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2013, 2013

関東平野北部の荒川,利根川によって形成された河川地形分布域はきわめて複雑な構造をしている.一方,この地域は近世以前の河川災害や社会状況を念頭に教訓に水塚をはじめとした防災システムがつくられてきた.これらは,日本一の川幅を誇る荒川堤外地に象徴される近代治水システムの整備とともに顧みられないどころか邪魔者扱いされるようになった.しかし,ひとたび破堤すると,自然に近い河川の姿が現れるとともに,現在の強固な治水システムが災害を拡大させる可能性がある.本発表では荒川扇状地,妻沼低地,荒川低地の範囲を中心に,河川地形の特徴と自然の洪水時の水の流れを総括し,伝統的な防災施設の現状について述べる. 本発表の範囲には荒川扇状地,妻沼・加須低地,荒川低地,大宮台地がある.低地には河道跡,自然堤防,後背湿地という地形が見られる.一般的には台地は本川の低地から高いところにあるが,大宮台地の北西部(上流側の行田,熊谷寄り)は低地に埋没し,低地との比高がほとんどない.荒川,利根川ともに現在の河道の様子はそれぞれ熊谷,妻沼で大きく変化する.上流側は流路が分岐・合流をくり返す網状流路を呈するのに対し,下流側の流路は1本となり自然状態では激しく蛇行している.この変化は流下する川の流れ,氾濫の形態,流下する土砂の性質の違いとなってあらわれる.荒川と利根川は別の河川として認識されているが,これは,完新世後期から中世までの自然による地形形成と河道変遷に加え,近世における河川の付け替え工事,さらには大正期の大規模河川改修の結果である.大矢ほか(1996)が指摘し,小暮(2011)が明らかにしたように,8世紀頃まで利根川は妻沼低地から南下し,荒川低地で荒川と合流ししていた.その痕跡は自然堤防の分布,配列方向に見ることができる.また,大宮台地北西端は継続して埋積する環境にあった.一方,荒川の主流路が扇状地を北東流し,妻沼低地で利根川と合流していた時期もあったと考えられる.以上のように本地域は2つの大河川の動きとさまざまな地形が複雑に絡み合った構造をしている. 以上の地形的特徴は河川災害にもあらわれる.上流側網状流区間,扇状地地域では,分流,強い流れ,礫の流下で特徴付けられ,下流側の蛇行区間,低地地域では,平面的な流れ,湛水,砂や泥の流下・堆積で特徴付けられる.また,近世以前の自然状態の水の流れが再現されることにもなる.これら河川災害を被る地域は破堤の位置と密接に関係している.荒川の扇状地地域で破堤した場合は,扇状地上の河道跡を勢いの強い水が幾筋にも分かれて流下し,扇端部の広い地域で湛水する.河道跡にある建物は破壊されることもある.利根川の妻沼低地で破堤した場合は,氾濫水は以前の利根川に沿って南流し,元荒川など東西方向の自然堤防や現在の荒川本堤防で堰上げが生じ,行田地域では「石田三成による忍城の水攻め」のときの風景が再現される可能性がある. 低地では現代の治水システムの影響を考慮する必要もある.堤内地へ氾濫した水は自然状態であれば下流で河川に戻る可能性があるが,高く強固な堤防で川と隔絶された堤内地では,堤防で堰き止められて長期間湛水する可能性もある. 荒川低地の吉見,川島地域には近世につくられた「大囲堤」などの輪中堤がある.また,個々の家では災害に備えるためにつくられた敷地内に高く盛土した場所に貴重品や食料などの備蓄を行う蔵「水塚」があった.堤防は残存または強化されているところが多いが,水塚は現在でも見ることができるものの,その数は最近でも減少し続けている.利根川沿いに位置し,かつて水塚が多数存在していた日向集落で2009年に行った調査では,強固な堤防があるので伝統的な水塚は必要を感じず壊したと回答した家も多かった.実際に被災する可能性は低くなっているとはいえ,河川災害に備える意識までも低くなっているとすれば問題である.
著者
島津 弘
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2012, 2012

上高地の徳沢-明神間の梓川で上高地自然史研究会が1994年以来行ってきた調査により,上高地における梓川河床の地形は数年に一度変化することがわかっている.2010年夏および2011年夏に簡易測量に基づいて作成した地図の比較および現地観察から,2011年に地形変化が生じたことが明らかになった.また,2011年7月3日から10月4日まで設置した継続観察地を撮影したインターバル撮影カメラの映像から,当該期間について増水の状況,降雨との対応が明らかになった.そこで,この地形変化の特徴を記載するとともに,地形変化と降雨の関係について検討した.2011年の最大級の連続降雨を記録したと推定される6月22~25日の降雨では23日の10:00~11:00に17mm/hを記録した.その後,23日13:40にアメダスが計測不能となり27日まで欠測が続いたため,この期間の23日の日雨量,期間の総降水量は不明である.明神橋近くにある信州大学上高地ステーションにおける雨量計による計測によると,6月豪雨の期間内に検証を要する値が含まれているものの6月23日の日雨量はおよそ120mmであった.このほか2011年には梅雨入り前の5月10日に123.5mm,台風15号が接近した9月20日に148.5mmを記録した.継続観察地の地形は2009年以降毎年変化が生じた.主流路は幅250mの河道の中央部に主流路が位置するという傾向は2007年以降変化していないが,2010年と比較して主流路の位置の移動と流路分岐のパターンの変化が認められた.この地形変化は観察と降雨状況から5月10日または6月23~25日の降雨のいずれか,または両方で生じたと推定される.カメラの設置許可が梅雨入りに間に合わず,6月の豪雨時の地形変化を記録することはできなかった.カメラ設置後の9月20日に日雨量140mmを超える降雨があったが,主流路がわずかに側刻された程度で地形変化は小さく,カメラで捉えられるような流路の移動は生じなかった.なお,このときには主流路周辺は河床の一部を除いて全面的に流れで覆われていた.以上のことから,以前からの予測通り,梅雨時期あるいは融雪時期における日雨量120mm程度以上の降雨で地形変化が生じるが,梅雨明け以降は豪雨が降っても大きな地形変化は生じないことが確かめられた.