著者
渡辺 和之
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2014, 2014

&nbsp; 原発事故による畜産被害を聞き取りしている。2013年秋と2014年春に南相馬市で調査をおこなった。南相馬市には福島県内にあるすべての避難区域が混在する。20km以内の旧警戒地域は小高区にあり、旧計画的避難区域(2012年4月解除)や特定避難勧奨地点(以下勧奨地点)は原町区の山よりの集落に集中する。原町区の平野は比較的線量も低く、旧避難準備区域(2011年10月解除)となり、30km圏外の鹿島区では避難も補償もない。調査では原町区の山に近い橲原(じさばら)、深野(ふこうの)、馬場、片倉の集落を訪れ、4人の酪農家から話を伺うことができた。<br>&nbsp; 南相馬では転作田を牧草地としており、いずれの農家も20ha以上の牧草地を利用する。このため、糞や堆肥置き場には困っていない。ただし、事故後牛乳の線量をND(検出限界値以下)とするため、30Bq以上の牧草を牛に与えるのを禁止し(国の基準値は100Bq)、購入飼料を与えている。<br>&nbsp; ところが、酪農家のなかには1人だけ県に許可を取り、牧草を与える実験をしている人がいる。彼は、国が牧草地を除染する以前から自主的に除染をはじめ、九州大学のグループとEM菌を使った除染実験をしている。牛1頭にEM菌を与え、64Bqの牧草を与えてみた所、EM菌が内部被曝したセシウム吸着し、乳の線量が落ちていた。<br>&nbsp; 市内では震災を機に人手不足が深刻化しており、酪農家の間でも大きな問題となっている。南相馬の山の方が市内でも線量が高く、いずれの酪農家の方も子供を避難させている。妻子は県外にいて1人で牛の面倒を見ている人もおり、今までの規模はとても維持できないという。といって、少ない規模だと、ヘルパーも十分に雇うこともできず、牛の数を半分以下に減らした人もいる。<br>&nbsp; 現地では地域分断よりも、地域の維持がより大きな問題となっている。ある酪農家は「続けられるだけまだいいと、今では考えるようにしている」という。「小高や津島の酪農家を見ていると、いつ再開できるのか先が見えない。農家によって状況も違うし、考え方も違う。どうやって生きて行くのか、その先の見通しを何とか見つけないと。事故がなくても考えなければいけないことだったかもしれない。ただ、無駄な努力をさせられたよな」とのことである。片倉では、小学校が複式学級になる。深野でも小学校の生徒が10人に減ってしまった。「避難先には何でもある。30-40代は戻ってこない。だから、昨年から田んぼも再開した。続けていないと集落が維持できなくなる」とのことである。<br>&nbsp; 人がいなくなったことで獣害問題も深刻化している。山に近い片倉や馬場では、震災前からイノシシの被害はあったが、震災後に電気柵を設置したという。「電気柵をはずすと集中砲火を受ける。猿も定期的に群れで来る。あれはくせ者。牧草の新芽を食べる」という。<br>&nbsp; このような状況でありながらも、彼らは後継者不足には悩んでいない。週末になると避難先の千葉から息子さんが手伝いにくる人もいれば、息子が新潟の農業短大を卒業したら酪農をやるという人もいる。「酪農で大丈夫かとも思うが、牧草さえ再開できれば牛乳は足らないし、やってゆけなくはない」。また、「一度辞めると(酪農の)再開は困難。それ(息子が家業を継ぐ)までは今の規模を維持して行かないと」という。酪農仲間たちは、「親の背中を見てるんだねえ」とコメントしていた。

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