著者
渡辺 和之
出版者
The Association of Japanese Geographers
巻号頁・発行日
pp.13, 2014 (Released:2014-10-01)

原発事故による畜産被害を聞き取りしている。2013年秋と2014年春に南相馬市で調査をおこなった。南相馬市には福島県内にあるすべての避難区域が混在する。20km以内の旧警戒地域は小高区にあり、旧計画的避難区域(2012年4月解除)や特定避難勧奨地点(以下勧奨地点)は原町区の山よりの集落に集中する。原町区の平野は比較的線量も低く、旧避難準備区域(2011年10月解除)となり、30km圏外の鹿島区では避難も補償もない。調査では原町区の山に近い橲原(じさばら)、深野(ふこうの)、馬場、片倉の集落を訪れ、4人の酪農家から話を伺うことができた。  南相馬では転作田を牧草地としており、いずれの農家も20ha以上の牧草地を利用する。このため、糞や堆肥置き場には困っていない。ただし、事故後牛乳の線量をND(検出限界値以下)とするため、30Bq以上の牧草を牛に与えるのを禁止し(国の基準値は100Bq)、購入飼料を与えている。  ところが、酪農家のなかには1人だけ県に許可を取り、牧草を与える実験をしている人がいる。彼は、国が牧草地を除染する以前から自主的に除染をはじめ、九州大学のグループとEM菌を使った除染実験をしている。牛1頭にEM菌を与え、64Bqの牧草を与えてみた所、EM菌が内部被曝したセシウム吸着し、乳の線量が落ちていた。  市内では震災を機に人手不足が深刻化しており、酪農家の間でも大きな問題となっている。南相馬の山の方が市内でも線量が高く、いずれの酪農家の方も子供を避難させている。妻子は県外にいて1人で牛の面倒を見ている人もおり、今までの規模はとても維持できないという。といって、少ない規模だと、ヘルパーも十分に雇うこともできず、牛の数を半分以下に減らした人もいる。  現地では地域分断よりも、地域の維持がより大きな問題となっている。ある酪農家は「続けられるだけまだいいと、今では考えるようにしている」という。「小高や津島の酪農家を見ていると、いつ再開できるのか先が見えない。農家によって状況も違うし、考え方も違う。どうやって生きて行くのか、その先の見通しを何とか見つけないと。事故がなくても考えなければいけないことだったかもしれない。ただ、無駄な努力をさせられたよな」とのことである。片倉では、小学校が複式学級になる。深野でも小学校の生徒が10人に減ってしまった。「避難先には何でもある。30-40代は戻ってこない。だから、昨年から田んぼも再開した。続けていないと集落が維持できなくなる」とのことである。  人がいなくなったことで獣害問題も深刻化している。山に近い片倉や馬場では、震災前からイノシシの被害はあったが、震災後に電気柵を設置したという。「電気柵をはずすと集中砲火を受ける。猿も定期的に群れで来る。あれはくせ者。牧草の新芽を食べる」という。  このような状況でありながらも、彼らは後継者不足には悩んでいない。週末になると避難先の千葉から息子さんが手伝いにくる人もいれば、息子が新潟の農業短大を卒業したら酪農をやるという人もいる。「酪農で大丈夫かとも思うが、牧草さえ再開できれば牛乳は足らないし、やってゆけなくはない」。また、「一度辞めると(酪農の)再開は困難。それ(息子が家業を継ぐ)までは今の規模を維持して行かないと」という。酪農仲間たちは、「親の背中を見てるんだねえ」とコメントしていた。
著者
渡辺 和之
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2013, 2013

ネパール国内には、チベット難民のためのキャンプが数カ所ある。その多くは、1959年、中国がチベットに侵攻し、大量の難民が押し寄せた際に作られたものである。ソルクンブー郡にも、1960年代にチャルサに難民キャンプが作られた。ここにはネパール政府の国営絨毯工場ができ、難民たちが絨毯を織っていた。1990年代に発表者がこの地域で調査していた際、定期市でチベット絨毯が売られていた。<BR> 本発表では、このチャルサのチベット絨毯の原料となる羊毛がどのような経路で運ばれ、製品となった絨毯がどのような経路で流通していったのか、2011年夏に調査した結果を報告する。結果的にチャルサの絨毯工場は1990年後半代に閉鎖されており、このキャンプでおこなわれていた絨毯産業の盛衰と当時の流通事情がわかった。<BR> チャルサの絨毯工場は、郡庁所在地のあるサレリから1時間半ほど山道を上った場所にある。難民キャンプのあるチャルサには現在では40-50人程度の人しか住んでいないが、最盛時には1000人以上のチベット人が住んでいたという。絨毯工場は難民保護の目的で設立されたものである。国営ではあるが、ネパール政府は土地を提供しただけで、実質的な経営は赤十字がおこなっていた。難民キャンプを設立する予算も、絨毯の原料となる羊毛や染料の調達、および製品である絨毯の販売もすべてスイスの赤十字が経営していた。羊毛はチベット産のものを用いていたが、これはコダリを経由し、自動車で運ばれてきたものをジリから運んできたという。染料もスイス製の化学染料を用いており、コンクリート製の近代的な染色小屋で染めていた。染色した糸を乾燥させる際も、はじめは薪を燃料に用いていたが、この地域の森林破壊につながることを危惧し、電気の乾燥機をスイス政府が用意した。できあがった製品はカトマンズに輸送し、よいものはドイツやスイスに輸出されていた。<BR> 一方で、難民キャンプで働く人々は羊毛を買ってきて自分の家で絨毯を織ることもあった。発表者が1990年代にナヤバザールの定期市でチャルサの絨毯といって売られているのを見たのは、この自家製の絨毯であった。工場で作る最高級品と比べると質は落ち、値段も工場で織った絨毯が1枚15000Rs(1990年代なかばには約3万円)したのに対し、家で織るものは1枚3000ルピー(約6千円)程度で買えた。この自家製の絨毯を織る機はthijaという。足踏み式の機であり、経糸の数は67本×2本であった。<BR> 現在では家で自家製の絨毯を織っている人はほとんどいなくなってしまい、数世帯残るのみだという。ナヤバザールの定期市で売っている絨毯のほとんどがカトマンズから持ってきたものである。サレリの役場に赴任した役人が実家に帰省する時にみやげとして「チャルサのチベット絨毯」を買ってゆくそうで、「向こう(カトマンズ)で作ったものを向こう(カトマンズ)に持ってゆくのだから、手間のかかることだ」と、地元ではいわれている。<BR> チャルサの工場が閉鎖されたのは1996年前後である。ネパール政府に払う税金(年30万ルピー)が払えなくなって工場を閉鎖したという。ちょうど1990年代は児童労働が問題になり、チベット絨毯の国際的な不買運動により、全国的に絨毯産業は衰退した頃と重なっていた。チャルサに住むチベット難民の多くはその後カトマンズに移住したという。<BR>
著者
渡辺 和之 橘 健一
出版者
立命館大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2011 (Released:2011-08-05)

本研究は、自動車道路の開通した現在でも、ヒマラヤ交易が形を変えて継続していることを、ネパール国内での現地調査によって実証した。特に畜産物に注目し、その生産から消費に至る流通経路を調べることで、交易を支える諸条件を明らかにした。この結果、交易が山地住民の農業・牧畜・森林利用の複合経済を基盤とし、他地域や都市や海外とも関わる交易ネットワークに支えられることが示した。また、とかく一方向的に都市の商品が流通すると見られていた山地経済を見直し、出稼ぎ経済の浸透で過疎化する山地経済を支え、存続する基盤は何か考察した。
著者
南 真木人 安野 早己 マハラジャン ケシャブラル 藤倉 達郎 佐藤 斉華 名和 克郎 谷川 昌幸 橘 健一 渡辺 和之 幅崎 麻紀子 小倉 清子 上杉 妙子
出版者
国立民族学博物館
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2007 (Released:2007-04-01)

2008年、マオイストことネパール共産党(毛派)が政権を担い、王制から共和制に変革したネパールにおいて、人民戦争をはじめとするマオイスト運動が地域社会や民族/カースト諸団体に与えた影響を現地調査に基づいて研究した。マオイストが主張する共和制、世俗国家、包摂・参加の政治、連邦制の実現という新生ネパールの構想が、大勢では変化と平和を求める人びとから支持されたが、事例研究からその実態は一様ではないことが明らかになった。
著者
伊藤 映 福岡 俊之 藤田 卓志 西山 聡一 渡辺 和之 田口 ひとみ
雑誌
全国大会講演論文集
巻号頁・発行日
vol.46, pp.351-352, 1993-03-01

近年、パーソナルコンピュータはその普及のめざましいものがあるが、個人が生活のパートナーとして使うとうい点ではまだまだ、心理的にはパーソナルとはいえない状況である。我々は、コンピュータの操作性という意味での「物理的な壁」はもとより、人とコンピュータのスムーズでかつ深いコミュニケーションを阻む「心理的な壁」をも取り除いた「つき合いたくなるコンピュータ」のためのヒューマンインタフェースの研究を行っている。特に、コンピュータ上に、賢いだけでなく親しみをもって接することのできる生物のような「エージェント」を用いた対話を提案している。その研究の一環として、コンピュータの内部世界を写し出し、利用者とその世界との仲介を行う「仮想生物」というエージェントの導入を提案し、コンピュータ内の「仮想世界」に没入し、仮想生物と対話できるシステムを試作した。本稿では、試作したシステムの概要とその基本モデルの考え方、更にシステムの基盤となるプラットフォームの実現例について述べる。
著者
前田 忠信 石崎 昌洋 平井 英明 渡辺 和之
出版者
日本作物学会
雑誌
日本作物学会関東支部会報 (ISSN:13416359)
巻号頁・発行日
no.11, pp.32-33, 1996-12-06

堆肥を連年施用した水田の土壌に対する堆肥施用の影響を低農薬条件で栽培した水稲の生育収量について検討した。品種コシヒカリを用い1995年4月25日に播種し、慣行の稚苗育苗法で育苗した苗を1株3〜4本として5月19日に乗用側条・深層施肥田植機で移植した。堆肥は1991年から4年間、年間5tで計20tを施用し、1995年は2t/10aを施用した。いずれの試験区も低農薬(除草剤1回, 殺虫剤1回)で栽培した。