著者
町田 尚久
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2015, 2015

<b>1.はじめに</b><br>関東甲信地方では,寛保2年(1742年)7月27,28,29日,8月1,2日(旧暦)に台風の通過に伴う大洪水が発生した。この災害については,丸山(1990)などが被害の状況を千曲川流域でまとめ,町田(2014)が台風の進路を復元した。町田(2013)は,寛保2年洪水時に荒川上流域の斜面で大量の土砂移動が発生したことを指摘し,これ以降,荒川扇状地で河床変動が生じたことを報告した。しかしながら,寛保2年洪水時の土砂移動の状況については明らかにされてこなかった。本発表では土砂移動の発生の可能性を明らかにすることを試みた。<br><br><b>2.対象地域・対象資料</b><br>対象地域は,土砂移動が発生した荒川流域,利根川流域,千曲川流域とする。資料は,古文書などの一次資料を基にまとめられている県史,市町村誌,郷土史,先行研究等とした(横瀬町,1989;青木,2013;丸山,1990;河田,1977など)。文献には現象,災害記録,景観の変化などの記載があり,当時の土砂移動の有無を知ることができる。<br><br><b>3.土砂移動発生の記録</b><br>千曲川流域の長野県北佐久郡や南佐久郡,松代周辺では山崩れなど,利根川流域の群馬県嬬恋村,赤城山北部,上武山地および荒川流域の埼玉県長瀞町や横瀬町では斜面崩壊などの記載がある(青木,2013;丸山,1990;河田,1977など)。また,多摩川流域の東京都青梅市では家屋が埋まった記録がある。以上のことから町田(2013)が経路を復元した台風による土砂移動は,浅間山周辺から丹沢山地までと,赤城山の一部で発生したことが認められる。資料の多い千曲川流域では数多くの崩壊や地すべりが発生したことから,資料の少ない荒川流域と利根川流域でも,同様の状況にあったと考えられる。<br><br><b>4.寛保2年頃の山林状況</b><br>江戸時代の山林については,青木(2013)は山林の状況と当時の御触に基づいて千曲川流域の状況を示し,開発の影響によるものと推定している。秩父山地では17世紀中期以降,現在の秩父市大滝では伐採がすすみ,幕府が集落から離れた地域で樹木の伐採を制限し,さらに秩父市大滝や上州山地南側にある上野国山中領(現 上野村周辺)の一部でも伐採の制限がかかった(三木,1996)。これは樹木の伐採が進み,木材の確保が難しくなることを懸念した江戸幕府が伐採地域を制限したと推定することができる。一方,伐採制限のかかっていない地域や伐採の制限が弱い地域については伐採が行われていたと解釈することができる。このことから伐採が利根川流域でも進み,荒川上流域や利根川流域の一部では山林が荒廃していた可能性がある。さらに新編武蔵国風土記稿(秩父郡)の挿絵(蘆田,1933)から寛保2年の約90年後の植生や土地利用を推定でき,当時の植生は,現在のように高木が主体ではなかったことが読みとれる。<br><br><b>5.土砂移動が人為的影響により引き起こされた可能性</b><br>千曲川流域では人為介入の影響を受けた土砂移動の発生が指摘され(青木,2013),群馬県上野村周辺では正徳3年(1713年)に一部で伐採の制限をかけたが,寛保2年洪水時には幕府の伐採制限がかかっていた流域と隣接する南牧川では数多くの土砂移動が発生した。荒川流域,利根川流域の一部では,木材自給の増大した1700年代と寛保2年(1742年)洪水時の大雨が一致することから,木材の伐採が進み荒廃した斜面で崩壊や地すべりなどの土砂移動が発生しやすい状況にあったと推定できる。さらに蘆田(1933)の挿絵から秩父山地で高木が少ない環境があったと推定でき,降雨量によっては土砂移動を誘発する可能性は高い。さらに町田(2013)が示した寛保2年から安政6年までの荒川扇状地での河床上昇は,17世紀後半から伐採が増加する時期と一致することから山林の荒廃が示唆される。このことは当時,土砂移動が頻発したことを強く支持するものと考えられる。<br><br><b>6.おわりに</b><br>過去の地すべり,崩壊および土石流といったマスムーブメントの発生には,自然環境だけではなく,発生当時の社会状況,生活状況,産業(林業),御触(法令)などが強く結びついている可能性がある。このことから土砂移動は自然環境を背景として,さらに人為的影響を受けて発生することがあることが示された。歴史災害についても自然の影響と人為の影響を確認する必要がある。一方,植生分布,土砂生産など自然環境で結びつく現象については,流域単位で自然環境の変化とその動態を明らかにする必要がある。<br><br>

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