著者
野間 晴雄
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2017, 2017

<B>1.黒潮に向き合う紀州と房総</B><BR><br><br>&nbsp;&nbsp; 黒潮はフィリピン東部から台湾,トカラ海峡を横切り,南九州,四国,紀伊半島,東海地方から伊豆諸島,房総半島で東に転じる,深さ500m,幅50~100km、最大時速は7ノットの世界でも稀にみる激流である。三宅島と八丈島の間を流れる本流は黒瀬川と形容される。しかも揖斐・長良川から天竜川,大井川,伊豆の狩野川まで,山間から単調な海岸へ一気に流下するため,河口に良港が形成されない。紀州から江戸・房総へ向う船は,遠州灘を一気にこの黒潮の流れにのって航海せねばならなかった。<BR><br><br> 紀州(=紀伊半島)と房総(=房総半島)はこの黒潮が陸域に近接する2つの地域である。まとまった耕地のほとんどない紀伊半島外帯の沿岸域の集落は,後背地との結びつきが少なく,むしろ太平洋の外海へ繰り出していった。船の改良と巧みな操船術は,近世に生まれた武士の巨大都市江戸とその周辺市場に,紀州の物産・技術を移植した。東京湾のフロンティアであった房総半島の南端から内房地域,外房・九十九里・銚子方面には,一時的・季節的移住を経て恒久的移住によって,人と技術・文化が紀州から伝播する。全国の熊野神社1810社のうち,他県を圧倒して1位が千葉県の316社である(み熊野ネット)のもその証左である。<BR><br><br> 本発表は,近世から近代にかけて紀州と房総への地域間の交流,技術・文化の移植と変容を,①漁場開拓,②醸造業,③みかん,④杉林業と杉材移出の4点からの比較考察を目的とする。<BR><br><br><B>2.漁場開拓と醸造業</B><BR><br><br>&nbsp;&nbsp; 紀州漁民が五島・対馬方面や土佐に漁場開拓(捕鯨も含む)を行なったことはよく知られている。黒潮を利用して東へ向う例として,房総での有田郡広村・湯浅から銚子の外への移民と浦立がある。その北には下津,加太などの移住漁民送出地がひかえる。地引網,八手網などを駆使し大勢の曳き子を擁した鰯の集団漁業に特色がある。天然の良港をもたない九十九里の海岸平野や,人口希薄な外房の沿岸のフロンティアが主たる漁場となった。和泉の佐野・貝塚・嘉祥寺,岸和田,岡田など,より商業的な性格が強く釣漁や高度な漁業技術を備えた先進地域からの影響も見逃せない。回遊性の鰯の加工品の干鰯は,花崗岩風化による畿内の土壌に適合し,綿,菜種の新商品作物普及に貢献した。<BR><br><br>&nbsp;&nbsp; 広村は,もともとは漁村であるが,古い列村状のまちなみには商家的様相が混じる。後背地の林業での資本集積をもとに関東への進出を試みたのは,銚子のヤマサ醤油のルーツとなる広村の濱口家である。湯浅の醤油醸造業の集積も有田川流域にはないが,有田郡の肯綮にあたる湯浅・広村の場所性が影響する。<BR><br><br><B>3.みかんと杉</B><BR><br><br>&nbsp;&nbsp; 紀州のなかで,古いミカン産地であり最も早い時期に商品化したのは,有田川流域河谷の傾斜地である。その品種改良には池田細河の台木・接ぎ木技術が貢献している。みかんの積出港は湯浅(近世には河口の箕島には港はなかった)である。湯浅出身の紀伊國屋文左衛門の江戸でのみかん成功逸話は巷間に広く流布している。紀ノ川,有田川上流域は,わが国でも最も早くに杉の育成林業が発達した地域でもある。その用途は上方市場の醸造業の樽丸材であった。一方,紀州の田辺以南の東紀州では,熊野川下流の新宮や尾鷲などの後背地に杉林業が勃興する。黒潮を利用して船で江戸市場へ運び,建築用材として販売された。房総は紀州と異なり海抜500m以下の丘陵・台地が卓越し,杉林業の適地ではない。しかし,外房南部の安房丘陵の沿岸には杉が植林され,平地林の山武林業の成立にも,その技術には「木」を育て改良する紀州の先進性が影響している。海と山が主体である紀州の在来技術体系が房総に入るとき,農の技術を欠きながら,彼の地で変容を遂げたと総括できる。<BR>

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