著者
野間 晴雄
出版者
關西大學文學會
雑誌
關西大學文學論集 (ISSN:04214706)
巻号頁・発行日
vol.71, no.1, pp.65-99, 2021-09

日本学術振興会科学研究費「カリブ海域『砂糖植民地』の系譜と産業遺産の比較技術史」(挑戦的萌芽研究)課題番号 : 16K1280,2016~2019年度を使用して,周辺地域の補充調査を実施した。
著者
野間 晴雄
出版者
関西大学
雑誌
関西大学東西学術研究所紀要 (ISSN:02878151)
巻号頁・発行日
vol.42, pp.A51-A60, 2009-04-01

イギリスのプラントハンターの総元締めのJ.Banksが記した海外からの植物の移送・保存に関する指示書。マイクDフィルムからの手稿の翻刻をした。 This paper is aimed to transliterate the English manuscript " Rules for Collecting and Preserving Specimens of Plants" (1796) written by Joseph Banks (1743‒1820), who is a renown English plant collector, and then became an infl uential patron for plant hunters, explorers or natural historians in the late 18th century to the early 19th century. Since the original document is preserved in the British Library, the author used the microfi lm copy possessed in Kansai University library. The background of this written document is how to transport live plants collected in Asia, Africa and New Continents for plant hunters to Western Europe with moderate and cool climate. The end of 18th century is the last phase of scientifi c navigation era for European countries. British Empire sent James Cook to the Pacific Ocean navigation in order to astronomical survey and make correct maps in 1768‒1771. J. Banks took the same ship and collected many rare plants. After he came back to Britain, he, as the president of the Royal Society of London for the Promotion of Natural Knowledge, started to support fi nancially to collect rare or economically useful plants in the world by plant hunters. At the same time, he instructed plant hunters or botanists to send rare plants, seeds, and herbarium to Kew Garden in the suburbs of London. Thus, the Kew Garden has become the world center of plants. Since the transport live plants to Britain by ship safely is a very diffi cult work at that time, so Banks instructed minutely in the document such as the protection them from sea water, uncertain temperature and humidity.
著者
野間 晴雄 朝治 啓三 北川 勝彦 小椋 純一 川島 昭夫 橘 セツ グルン ロシャン
出版者
関西大学
雑誌
挑戦的萌芽研究
巻号頁・発行日
2011

イギリスのプラントハンター(プラントコレクター)といわれる人々は,植物学,園芸学の知識と実践を背景に,世界各地に拡大した植民地で稀少な植物・有用植物を収集し,それをイギリス本国や別の植民地に普及するのに重要な貢献をした。その中核となったのがキュー植物園で,J.バンクス卿やW.フッカーの努力によって収集・研究がすすめられるとともに,風景式庭園に対して栽植植物の多様化からの寄与も大きかった。南アフリカ,インド,中国,オセアニア等での植物採集に関わったプラントハンターたちは18世紀以降の大英帝国拡大の一翼を担い,本国・植民地の経済植物や温帯植物の普及によって大きな経済的利益をもたらした。
著者
野間 晴雄 野中 健一 宮川 修一 岡本 耕平 堀越 昌子 舟橋 和夫 池口 明子 加藤 久美子 加納 寛 星川 和俊 西村 雄一郎 鰺坂 哲朗 竹中 千里 小野 映介 SIVILAY Sendeaune 榊原 加恵 SOULIDETH DR.MR. Khamamany BOURIDAM MS. Somkhith ONSY Salika CHAIJAROEN Sumalee 岡田 良平 的場 貴之 柴田 恵介 瀬古 万木 足達 慶尚 YANATAN Isara 板橋 紀人 渡辺 一生
出版者
関西大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2006

東南アジア大陸部に位置する天水田農業を主体とした不安定な自然環境における平原地帯(東北タイドンデーン村とラオスのヴィエンチャン平野ドンクワーイ村)における多品種の稲や植物,魚介類や昆虫など様々な動植物資源の栽培・採集・販売などの複合的な資源利用の実態とその変化の態様を地域の学際的・総合的共同調査で明らかにした。両村ともグローバル市場経済の影響が認められるが,ドンデーン村ではかつて存在した複合的な資源利用が平地林の消滅や都市近郊村落化によって失われており,ドンクワーイ村はグローバル化や森林伐採で変容を遂げつつあるが,インフラの未整備によって伝統は保持されている。
著者
グエン ティー ハータイン 野間 晴雄
出版者
人文地理学会
雑誌
人文地理学会大会 研究発表要旨
巻号頁・発行日
vol.2008, pp.508, 2008

農地転用は都市化の一側面から生じる一過程あり,社会経済発展の結果である。近年、ベトナムは年率3.05%(1995-2006)の急激な都市化を経験した。しかしながら,スプロール化が生じているのに,現状では,政府の方策は都市化を抑えることも,正しい方向への農地転用を動機付けすることも,住民を満足させることもできない。ハノイ市郊外のメッチー社(Me Tri commune)はそのような問題が顕在化する典型地域である。本稿の目的は,この地域で都市化おける農地転用の影響を評価することである。<BR> メッチー社では2000年以降現在まで,急激な農地転用によって,農民は以下のようなさまざまな問題に直面している。次々に林立する高層建築やオフィスビルの景観とは対照的に,この地域の伝統的な生業であったブン (<I>bun</I>)といわれる米麺づくり,コム(<I>com</I>)といわれる未熟な糯米をハスの葉にくるんだハノイ名物の菓子づくりは衰退し,農民が以前の職業に取って代わる工業やサービス業での新規就業機会をみつけることは困難で,不安定で危険な仕事に従事せざるを得ない状況にある。さらに立ち退きによって得た補償金で,農民はこぞって所得に不似合いな高価な家を購入し,モーターバイクや携帯電話を所有するようになった。<BR> 農地転用における望ましい方法としてわれわれは以下の4点を提起したい。1) 農民に 一時的な補償金ではなく,代替の土地を与える,2) 職業訓練コースのため受講料の支給ではなくの受講証を発行すること, 3) 農地転用や廃止の前に労働の移転計画を考える, 4) 仕事を与えるのみならず,伝統的な生業が可能な場所を農民のために確保する。<BR>
著者
グエン カオ・フアン 野間 晴雄 グエン ドック・カー チャン アイン・トゥアン
出版者
人文地理学会
雑誌
人文地理 (ISSN:00187216)
巻号頁・発行日
vol.58, no.6, pp.588-605, 2006
被引用文献数
2

<p>本稿の目的は,ベトナム地理学の歴史を前近代の地理的知識の発達から現在の状況まで,その専門分野や方法・手法の変遷と制度や大学での地理学の教育から概観を試みることである。</p><p>前近代は中国の地誌の影響を受け,国家の土地問題や地方行政制度に有用な地理的知識が蓄積され,それらに関連した地図も作成されたが,地誌の体裁は中国の伝統的な形式を超えるものではなかった。</p><p>フランス植民地時代には旧来の地誌の形式を踏襲した自然,経済,歴史・政治地理,統計の4分法が用いられた。マスペロらによる古文書研究所での地名や歴史地理は注目される。自然地理学ではカルスト地形や洞窟学が考古学者や地質学者によって発達した。応用的な地理学分野としては工芸作物の適地利用,灌漑システム,気象観測所の適地調査,フランス人のためのヒルステーション立地などが研究された。</p><p>1930年代になるとフランスの人文地理学の影響が顕著となり,ロブカンやグルーが北部ベトナムの地誌や土地利用研究で活躍した。とりわけグルーの『トンキンデルタの農民』(1936)は空中写真や詳細な地形図を駆使した不滅の業績であるが,第二次世界大戦以後のベトナム地理学では長く忘れられた存在であった。</p><p>現代の地理学は1954年から75年までが一つの画期となる。モスクワ大学を頂点とするソビエト地理学の圧倒的な影響下にあって,地質学,地形学が中心となった。ベトナムの戦後第一世代の多くがこの時期に共産圏諸国の留学生によって占められた。1975年に南北ベトナムの統一が達成されたが,メコンデルタや中部の研究に特色が見いだされる。</p><p>1986年以降のドイモイによる経済開放によって,アングロサクソン系地理学のさまざまな手法や概念が英語メディアを通じて徐々に入ってきたが,その歩みは遅々たるものだった。その間に,リモートセンシングやGISの手法による地域計画が国家事業の観点から重要な役割をにない,地理学の地位を高めた。</p><p>大学における地理学はハノイ大学(現在はベトナム国家大学ハノイ校)の地質学・自然地理学を中心に,景観生態学や地形学,土地管理などの分野が中心の学部と,ハノイ教育大学,ホーチミン大学における経済地理,人文地理学中心のものに大別される。いずれもGIS,リモートセンシングなどを用いたツーリズムや応用地理学的な分野に特色を持つ。</p><p>ベトナムの地理学会は1988年に設立され,ハノイ大学を中心として5年ごと大会を開催しているが,定期刊行物はない。ほかにベトナム国立科学技術アカデミーにも研究者がいて,天然資源,環境,災害が主要テーマとなっている。</p><p>近年は「総合地理学」の名のもとに,人文地理学がベトナムでようやく力を持ち始めている。その対象とするのは人間が作った人文景観や中・小地域でのコミュニティ,都市・農村地理学で,現代ベトナム地理学の台風の目となろうとしている。その一方で,政策・計画や自然地理学と社会経済地理学を重視したソ連流の人文地理学も並存し重要視されている。</p>
著者
吉田 敏弘 石井 英也 松村 祝男 吉田 敏弘 林 和生 小野寺 淳 小倉 眞 松村 祝男 小倉 眞 古田 悦造 林 和生 野間 晴雄 小野寺 淳 松尾 容孝 原田 洋一郎
出版者
国学院大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2007

文化財保護法や景観法に基づく文化的景観の保全事業実施にあたり、保全対象となる文化的景観の選定にあたっては、文化的景観のAuthenticityを学術的・客観的に評価する必要がある。本研究では、「一関本寺の農村景観」と「遊子水荷浦の段畑」を主たる事例として、景観の価値評価を試行し、次のような5つのステップから成る基礎調査が有効であると判断した。(1)明治初期地籍図などに記録された伝統的景観の特質の解明、(2)伝統的景観(地籍図)と現景観との精密な比較、(3)近代以降の景観変化の過程とメカニズムの解明(土地利用パターンや作物、地割など)、(4)伝統的な景観要素残存の背景を地域の社会・経済・文化的側面から考察、(5)現景観の活用可能性の考察と保全の方向性の提示。なお、上記の作業をヴィジュアルに活用するため、GISの導入と時系列統合マップの構築が有効であることも確認した
著者
野間 晴雄
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2017, 2017

<B>1.黒潮に向き合う紀州と房総</B><BR><br><br>&nbsp;&nbsp; 黒潮はフィリピン東部から台湾,トカラ海峡を横切り,南九州,四国,紀伊半島,東海地方から伊豆諸島,房総半島で東に転じる,深さ500m,幅50~100km、最大時速は7ノットの世界でも稀にみる激流である。三宅島と八丈島の間を流れる本流は黒瀬川と形容される。しかも揖斐・長良川から天竜川,大井川,伊豆の狩野川まで,山間から単調な海岸へ一気に流下するため,河口に良港が形成されない。紀州から江戸・房総へ向う船は,遠州灘を一気にこの黒潮の流れにのって航海せねばならなかった。<BR><br><br> 紀州(=紀伊半島)と房総(=房総半島)はこの黒潮が陸域に近接する2つの地域である。まとまった耕地のほとんどない紀伊半島外帯の沿岸域の集落は,後背地との結びつきが少なく,むしろ太平洋の外海へ繰り出していった。船の改良と巧みな操船術は,近世に生まれた武士の巨大都市江戸とその周辺市場に,紀州の物産・技術を移植した。東京湾のフロンティアであった房総半島の南端から内房地域,外房・九十九里・銚子方面には,一時的・季節的移住を経て恒久的移住によって,人と技術・文化が紀州から伝播する。全国の熊野神社1810社のうち,他県を圧倒して1位が千葉県の316社である(み熊野ネット)のもその証左である。<BR><br><br> 本発表は,近世から近代にかけて紀州と房総への地域間の交流,技術・文化の移植と変容を,①漁場開拓,②醸造業,③みかん,④杉林業と杉材移出の4点からの比較考察を目的とする。<BR><br><br><B>2.漁場開拓と醸造業</B><BR><br><br>&nbsp;&nbsp; 紀州漁民が五島・対馬方面や土佐に漁場開拓(捕鯨も含む)を行なったことはよく知られている。黒潮を利用して東へ向う例として,房総での有田郡広村・湯浅から銚子の外への移民と浦立がある。その北には下津,加太などの移住漁民送出地がひかえる。地引網,八手網などを駆使し大勢の曳き子を擁した鰯の集団漁業に特色がある。天然の良港をもたない九十九里の海岸平野や,人口希薄な外房の沿岸のフロンティアが主たる漁場となった。和泉の佐野・貝塚・嘉祥寺,岸和田,岡田など,より商業的な性格が強く釣漁や高度な漁業技術を備えた先進地域からの影響も見逃せない。回遊性の鰯の加工品の干鰯は,花崗岩風化による畿内の土壌に適合し,綿,菜種の新商品作物普及に貢献した。<BR><br><br>&nbsp;&nbsp; 広村は,もともとは漁村であるが,古い列村状のまちなみには商家的様相が混じる。後背地の林業での資本集積をもとに関東への進出を試みたのは,銚子のヤマサ醤油のルーツとなる広村の濱口家である。湯浅の醤油醸造業の集積も有田川流域にはないが,有田郡の肯綮にあたる湯浅・広村の場所性が影響する。<BR><br><br><B>3.みかんと杉</B><BR><br><br>&nbsp;&nbsp; 紀州のなかで,古いミカン産地であり最も早い時期に商品化したのは,有田川流域河谷の傾斜地である。その品種改良には池田細河の台木・接ぎ木技術が貢献している。みかんの積出港は湯浅(近世には河口の箕島には港はなかった)である。湯浅出身の紀伊國屋文左衛門の江戸でのみかん成功逸話は巷間に広く流布している。紀ノ川,有田川上流域は,わが国でも最も早くに杉の育成林業が発達した地域でもある。その用途は上方市場の醸造業の樽丸材であった。一方,紀州の田辺以南の東紀州では,熊野川下流の新宮や尾鷲などの後背地に杉林業が勃興する。黒潮を利用して船で江戸市場へ運び,建築用材として販売された。房総は紀州と異なり海抜500m以下の丘陵・台地が卓越し,杉林業の適地ではない。しかし,外房南部の安房丘陵の沿岸には杉が植林され,平地林の山武林業の成立にも,その技術には「木」を育て改良する紀州の先進性が影響している。海と山が主体である紀州の在来技術体系が房総に入るとき,農の技術を欠きながら,彼の地で変容を遂げたと総括できる。<BR>
著者
野間 晴雄 松井 幸一 齋藤 鮎子
出版者
関西大学大学院東アジア文化研究科
雑誌
東アジア文化交渉研究 = Journal of East Asian cultural interaction studies (ISSN:18827748)
巻号頁・発行日
vol.6, pp.461-475, 2013-03-27

The authors discuss the visualization the Chinese travelogue "Jokakaku-yuki" (徐霞客遊記) written by Jokakaku (徐霞客) in the 17th century. Besides an outstanding traveler, he was an excellent geographer, a botanist and a historian. In Japan his name is not so famous, but his views are not simply categorized into sightseeing records and diaries. Every time he tried to observe objects correctly, and to confirm in situ site/place by his minute academic description. We tied to create the Fujian part of "Jokakaku-yuki"database in a geographical viewpoint. As this database contains text information and maps, users can get them easily. Additionally it can be searched from the text information and/or maps. Since text information and maps are integrated by GIS, we can also process this database by GIS. In this paper Remote Sensing and NDVI analysis are implemented. We believe that such a database will make a great contribution to the development of the historical GIS (HGIS).
著者
野間 晴雄 香川 貴志 土平 博 河角 龍典 小原 丈明
出版者
人文地理学会
雑誌
人文地理学会大会 研究発表要旨 2011年 人文地理学会大会
巻号頁・発行日
pp.48, 2011 (Released:2012-03-23)

1.目的・視角と本発表の経緯 大学学部専門レベルの地理学研究の知識と技術を網羅した教科書・副読本として1993年刊行の『ジオグラフィック・パル 地理学便利帖』(海青社)1)は,情報アップデート化2)を除いて,2001年に『ジオ・パル21 地理学便利帖』3)以降,大きな改訂をしてこなかった。この間,日本の大学地理学教育をめぐる環境変化,IT技術の急速な変化,高等学校での「地理」の未履修者の増加とその対応,隣接分野への地理学的アプローチの拡がりと地域学・観光などのコース・学科や学部の新設などにより,提供すべき知識・内容を抜本的に改訂・一新する必要が生じてきてきた。 本発表の目的は,2012年春の刊行をめざした全面改訂版である『ジオ・パルNeo 地理学・地域調査便利帖』(仮題)の要諦を,旧版と比較して解説し,現代の大学生が身につけるべき地理学の基礎知識や技術や情報について考察することである。副次的な意図としては,改訂内容への忌憚のない意見・情報を学会参加者から求め,最終稿へ導くことである。 2.大学の地理学教育をめぐる環境変化 この約20年間,アカデミック地理学の動きとしては、環境論が装いを新たにして再浮上してきたこと,計量・モデル志向の方法論の相対的後退,自然地理学の細分化,新しい文化社会地理学・政治地理学の隆盛,場所・地域論の見直し,地理思想の拡がりなどである。技術論としては,GIS,ITの目覚ましい発達,とりわけインターネットを通じた大量かつ広範囲の情報の入手,加工が容易になったことがあげられる。 日本の大学における地理学の立場も大きく変わった。大学「大綱化」による教養課程の廃止と専門科目の低学年次への繰り下げ,大学における組織改組,多様な(一部には意味不明な)専攻・専修・コースの設立や改称,地理学やその隣接分野を学べる専攻の多様化・分散化などがあげられる。高等学校「地理」が必修科目からはずれたことによる学生の基礎知識の低下と格差拡大,ゆとり教育の推進による常識・学力の低下,学生の内向化,フィールドワークや基礎的技術を疎んじるインターネット過信などの状況がある。 3.全面改訂作業の内容 ―旧版との比較を通じて― 旧版『ジオ・パル』の趣旨には,故・浮田典良氏の地理教育・地理学への高い志が凝縮されている。詭弁を排し,徹底して大学生が学ぶべき内容をコンパクトに盛り込む便覧を意図し,2~4年ごとの改訂によって最新情報の提供をめざした。その構成は,地理学史などの本質論から,地理学の諸分野,研究ツール,文献,分析手法,キーワードに及んだ。今回の全面改訂は,旧執筆者の意見を汲み込みながら,現役で学部の実習や演習を担当している若手・中堅4名の十数回にわたる討議・共同作業により,3部構成(イントロ,スタディ,アドバンス)に全体を組み替えた。 「イントロ」は,高校「地理」を履修せずに入学する多様な学生の注意をひき,現在の学生の最大の関心である就職や資格にも配慮した入口~出口解説である。本論が「スタディ」で,さまざまな授業で随時参照でき,かつ4年間あるいは卒業後も使える有用性をめざした。地図の利用と自ら主題図を作成する技術,地域データの入手法,地域調査事例,GISの入門などを充実させるとともに,学生がプレゼンテーションや卒業論文を書く際の注意事項などを追加した。その一方で,地理学史や著名学者,学会など,大学院をめざす人,より高い専門性を追求する学生向きの事項は「アドバンス」にまわした(図1)。 4.今後のよりよき改良と修正に向けて 研究発表時には野間が全体の概要とねらいを,香川が具体的な改訂版の新機軸や内容の一端を紹介する。まだ,全体に盛り込むべき内容が完全には確定していない。情報として盛り込むべき事項(専攻名称や地方学会の雑誌情報)も変化が激しい。会場入口に置いた追加資料に挟み込まれたアンケート(無記名)と情報提供について,ご協力を賜れば幸いである。 注・文献 1)浮田典良編『ジオグラフィック・パル 地理学便利帖』海青社,1993年[白表紙]。2)浮田典良編『ジオグラフィック・パル 地理学便利帖1998-1999年版』海青社,1998年[紫表紙]。3)浮田典良・池田碩・戸所隆・野間晴雄・藤井正『ジオ・パル21 地理学便利帖』海青社,2001年[赤表紙]。
著者
野間 晴雄 森 隆男 高橋 誠一 木庭 元晴 伊東 理 荒武 賢一朗 岡 絵理子 永瀬 克己 朴 賛弼 中俣 均 平井 松午 山田 誠 山元 貴継 西岡 尚也 矢嶋 巌 松井 幸一 于 亜 チャン アイン トゥアン グエン ティ ハータイン チャン ティ マイ・ホア 水田 憲志 吉田 雄介 水谷 彰伸 元田 茂光 安原 美帆 堀内 千加 斎藤 鮎子 舟越 寿尚 茶谷 まりえ 林 泰寛 後藤 さとみ 海老原 翔太
出版者
関西大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2010-04-01

東アジア世界に位置する歴史的地域としての東シナ海,日本海,黄海・渤海・中国東北地方,広義の琉球・ベトナム,朝鮮半島の5つの部分地域として,環東シナ海,環日本海沿岸域の相互の交流,衝突,融合,分立などを広義の文化交渉の実体としてとらえる。それが表象された「かたち」である建築,集落,土地システム,技術体系,信仰や儀礼,食文化等を,地理学,民俗建築学,歴史学・民俗学の学際的研究組織で,総合的かつ複眼的に研究することをめざす。いずれも,双方向の交流の実体と,その立地や分布を規定する環境的な側面が歴史生態として明らかになった。今後はこの視点を適用した論集や地域誌の刊行をめざしたい。
著者
野間 晴雄
出版者
関西大学
雑誌
東アジア文化交渉研究別冊 (ISSN:18827756)
巻号頁・発行日
vol.4, pp.109-135, 2009-03-31

大航海時代以降にヨーロッパ,とりわけアルプス以北の寒冷な国々では王侯貴族の趣味として,ヨーロッパ以外の花を種子/球根を生きたまま本国に運んで移植し愛でる慣習が広まった。とりわけアングロサクソンのイギリスやオランダはその核心となる。その背景には,薬草学の知識やリンネを頂点とする分類学の発展などがあった。本報告では,その採集を異国の地で担ったプラントハンターと呼ばれる植物採集の専門家の性格を多角的に考察するとともに,採集を依頼・指示した人びととの関係もとりあげる。次にプラントハンターの東アジアでの一事例として,イギリス人ロバート・フォーチュンの日本・中国での採集の方法と成果,歴史的背景を分析する。最後に,プラントハンティングの対象としてユリとキクをとりあげて,西洋と東洋の文化交渉を園芸,栽培化のプロセスから通観して,事例から迫る文化交渉学の方法論にも言及したい。
著者
野間 晴雄
出版者
関西大学
雑誌
関西大学東西学術研究所紀要 (ISSN:02878151)
巻号頁・発行日
vol.40, pp.A39-A54, 2007-04

本稿は2006年9月29日にベトナム国家大学ハノイ校地理学部で開催された同学部創立40周年記念大会(ベトナム地理学会共催)での招待講演「20世紀日本の地理学の伝統と革新」の発表原稿を,写真等を除いてほぼそのまま掲載したものである。その目的とするところは,ベトナムの地理学研究者に日本の地理学界の基本的な情報を提供することと,現在の課題をベトナム地理学の動向と比較しつつ考察することである。前半では,20世紀におけるアカデミック地理学の伝統を主要な4つのスクール(東京大学,京都大学,東京高等師範学校/東京文理科大学/東京教育大学/筑波大学,広島高等師範学校/広島大学)の創立者やの後継者たちの研究テーマの特色から概観した。後半では,第二次世界大戦後における日本の地理学の変化を,応用地理学,第四紀への関心,いわゆる「地理学の革命」といわれたアングロサクソン系地理学の影響の深化,地理学教室の新規設立や学術雑誌の刊行,マルクス地理学の影響,GISの普及などから展望した。