- 著者
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細井 將右
- 出版者
- 公益社団法人 日本地理学会
- 雑誌
- 日本地理学会発表要旨集
- 巻号頁・発行日
- vol.2017, 2017
南米北部では、19世紀初め頃フンボルトがクロノメーターと天文観測で経緯度を定め学術目的で独立に地図を作成したが、アグスチン・コダッシは1826-1859年に南米北部に滞在し、独立後間もない地元政府の委託を受けてフンボルトの成果を活用し補測して全国的な地誌資料と小縮尺地図作成を行った。<br> 彼は1793年7月イタリア北部ルゴで生まれた。1810年7月イタリア王国軍に志願、パヴィアの砲兵理論実習学校で学んだ。この学校は1803年設立、砲兵術工兵術及びその基礎科目、数学、測量学、設計製図を教育訓練した。<br> 1826年南米北部グラン・コロンビアにわたり、マラカイボの州の砲兵隊長として海岸防衛のため地図を作成提出した。<br> 1830年グラン・コロンビアはベネズエラ、ヌエバグラナダ、エクアドルに分裂。ベネズエラ政府は全国地図作成を決定、その作業をコダッシに委託。1839年コダッシによる『ベネズエラ共和国自然政治アトラス』完成、説明文に人口94.5万と記載。翌年パリで印刷。パリ地理学協会、フランス科学アカデミーで好評。<br> 1849年ヌエバグラナダ大統領からの招きありボゴタに亡命。政府は全国の州ごとの地誌地図作成をコダッシに委託。1850年政府はこの作業の支援のため地誌委員会設置。地誌委員会はコダッシ委員長の下に1850年から1859年まで10回の測量調査遠征を実施。コダッシの地誌図が残されているが、10回目の遠征中、1859年2月未完のまま病没した。地誌委員会はコダッシの作業を継承編集し『コロンビア合衆国アトラス1865』にまとめた。<br> 人口、居住高度ほか自然人文条件が大いに異なるが、彼の活動は政府機関による全国的な地形図作成に先立つ個人指導によるものとして伊能忠敬と役割が似ているところがある。