著者
細井 將右
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2018, 2018

明治16年陸地測量部による地形図作成はドイツ式に変わったが、工兵測量は引き続きフランス式で、参謀本部を含む陸軍の指導者を養成する陸軍士官学校の地図測量教科書『地形學教程』はどのように対応しているか。残されている明治20,30年代ほかの『地形學教程』に明治初期導入のフランス地図測量技術の影響を見ようとするものである。明治28年第三版は巻之一、二と付録の3冊から成る。大まかに見て、巻之一は地形図の基礎知識と利用法、巻之二は自ら行う地図測量法で、こちらは明治9年のクレットマン『地理図学教程講本』の後継といえよう。明治31年に改正、活版洋装本に。明治34年改訂版は巻之一、二と附録の3冊から成る。巻之一、二の内容構成は従来のものをほぼ踏襲、巻之二には、「アリダード二ベラトリース」(測斜照準儀)のようなもののほかフランス語器具名が多数見られるが、その後、器具の選別、国語化が進み、大正時代には、例えば上記の器具は測斜儀となる。昭和15年改訂版でも巻一、二の上記枠組みはほぼ保たれている。
著者
細井 將右
出版者
日本地図学会
雑誌
地図 (ISSN:00094897)
巻号頁・発行日
vol.59, no.3, pp.14-17, 2021-09-30 (Released:2023-09-14)
参考文献数
6
著者
細井 將右
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2018, 2018

日本政府は、明治初期、陸軍近代化のため、フランスから陸軍教師団を招聘し、1872年から1880年滞在した。その中に工兵士官が含まれ、工兵教育の一環として地図測量教育が行われ、明治8年最初の『工兵操典』測地之部が1855年のフランスの工兵連隊学校教科書を翻訳して発行された。明治10年代半ば、フランス式の迅速測図が関東地方で作成される中で、全国的な地形図作成には、三角測量が不可欠ということで、ドイツ、プロイセン陸地測量部の方式を採用した。しかし、工兵の測量は引き続きフランス式で、明治22年の『工兵操典第二版』測地之部は1883年のフランス工兵連隊学校教科書の翻訳であるが、明治26年の『工兵操典』測量之部はそれまでに導入したフランス地図測量技術を咀嚼して作成したものとなっている。
著者
細井 將右
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2018年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.000091, 2018 (Released:2018-06-27)

日本政府は、明治初期、陸軍近代化のため、フランスから陸軍教師団を招聘し、1872年から1880年滞在した。その中に工兵士官が含まれ、工兵教育の一環として地図測量教育が行われ、明治8年最初の『工兵操典』測地之部が1855年のフランスの工兵連隊学校教科書を翻訳して発行された。明治10年代半ば、フランス式の迅速測図が関東地方で作成される中で、全国的な地形図作成には、三角測量が不可欠ということで、ドイツ、プロイセン陸地測量部の方式を採用した。しかし、工兵の測量は引き続きフランス式で、明治22年の『工兵操典第二版』測地之部は1883年のフランス工兵連隊学校教科書の翻訳であるが、明治26年の『工兵操典』測量之部はそれまでに導入したフランス地図測量技術を咀嚼して作成したものとなっている。
著者
細井 將右
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2017, 2017

南米北部では、19世紀初め頃フンボルトがクロノメーターと天文観測で経緯度を定め学術目的で独立に地図を作成したが、アグスチン・コダッシは1826-1859年に南米北部に滞在し、独立後間もない地元政府の委託を受けてフンボルトの成果を活用し補測して全国的な地誌資料と小縮尺地図作成を行った。<br> 彼は1793年7月イタリア北部ルゴで生まれた。1810年7月イタリア王国軍に志願、パヴィアの砲兵理論実習学校で学んだ。この学校は1803年設立、砲兵術工兵術及びその基礎科目、数学、測量学、設計製図を教育訓練した。<br> 1826年南米北部グラン・コロンビアにわたり、マラカイボの州の砲兵隊長として海岸防衛のため地図を作成提出した。<br> 1830年グラン・コロンビアはベネズエラ、ヌエバグラナダ、エクアドルに分裂。ベネズエラ政府は全国地図作成を決定、その作業をコダッシに委託。1839年コダッシによる『ベネズエラ共和国自然政治アトラス』完成、説明文に人口94.5万と記載。翌年パリで印刷。パリ地理学協会、フランス科学アカデミーで好評。<br> 1849年ヌエバグラナダ大統領からの招きありボゴタに亡命。政府は全国の州ごとの地誌地図作成をコダッシに委託。1850年政府はこの作業の支援のため地誌委員会設置。地誌委員会はコダッシ委員長の下に1850年から1859年まで10回の測量調査遠征を実施。コダッシの地誌図が残されているが、10回目の遠征中、1859年2月未完のまま病没した。地誌委員会はコダッシの作業を継承編集し『コロンビア合衆国アトラス1865』にまとめた。<br> 人口、居住高度ほか自然人文条件が大いに異なるが、彼の活動は政府機関による全国的な地形図作成に先立つ個人指導によるものとして伊能忠敬と役割が似ているところがある。