- 出版者
- 公益財団法人 史学会
- 雑誌
- 史学雑誌
- 巻号頁・発行日
- vol.126, no.1, pp.1-35, 2017
フェリペ四世統治下のスペイン帝国は対外戦費の増大に伴う深刻な財政難に苦しんだ。王とその寵臣オリバーレス伯公爵は財政改革によって状況の打開を図ったものの、各地で暴動を招き、帝国の衰勢は決定的となる。このような状況下で、スペインの宮廷からは遠く離れ、かつ他の領土と同じく重い負担を求められながらも平穏を保ったのがペルー副王領である。この地でなぜ暴動が起きなかったのかを知るためには、導入された様々な財政策の実践過程と、植民地社会の反応を究明する必要がある。その財政策の中でも、歳入の増加に有効だったと評価されてきたのが、民から王に供された献金である。しかし、これまでの研究ではその額ばかりが注目され、実態が検討されてこなかった。そこで本稿では、ペルー副王領における献金について、その実現過程と植民地支配に及ぼした影響について考察を試みた。<br>本稿では、ペルー副王領において一貫して巨額の献金を集めていたクスコとポトシの二都市について事例分析を行った。そして、献金はその扱いが司教や行政官など在地の権力者の裁量に任されており、彼らの配慮がなければ実現不可能であったことを論じた。金銭負担に対する民の不満を和らげたのは権力者が彼らとの間に培った紐帯である。この権力者たちは多くの場合、王の任命を受けて新たに地域社会の外部からやってきた人々だったが、民に協力を求める過程で地域に根を張ってゆく。しかしこの繋がりは多額の献金を実現させて帝国の財政に利する一方、癒着に転じ巨大な損失を引き起こすこともあった。植民地社会の諸権力が地方で領袖化することの危険性を王室は認識していたが、それを促進する側面を献金という制度は持っていたと言える。かくして、スペイン王室にとって献金は諸刃の剣のようなものであったことが明らかになるだろう。