著者
矢ケ崎 典隆 深瀬 浩三
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2009, pp.55, 2009

ロサンゼルス大都市圏はアメリカ合衆国において最も急速に都市化が進んだ地域の一つである。ロサンゼルス市とその周辺部では20世紀に入って都市化が加速し、人口が急増した。ロサンゼルス市中心部と多数の郊外都市を結びつける電車網が発達するとともに、モータリゼーションも進行し、都市域が空間的に拡大した。増加する人口に食料を供給するために農業が発達し、第二次世界大戦直前まで日系人は農産物の生産と流通において重要な役割を演じた。しかし、戦後、都市化の更なる進行に伴って農地の蚕食が進み、農業景観は大きく改変されるとともに、日系人の経済活動も変化した。本論文では、ロサンゼルス市中心部の南方に位置するガーデナ市およびトーランス市を研究対象地域として、都市化に伴う農業的土地利用の変化について検討した。この地域では、ロサンゼルス大都市圏において農業が最近まで存続するとともに、第二次世界大戦前から日系社会が存在し、日系農業が盛んに行われた。 ガーデナ・トーランス地域では、20世紀に入ると、日系人の流入とともにイチゴ栽培が盛んになった。イチゴ栽培には大きな資本は不要であったし、借地することにより、家族労働力に基づいた小規模な農場経営が可能であった。日系人の増加に伴って日本街が形成された。また、日系農業協同組合や日本人会が組織され、それらは日系社会において経済的にも社会的にも重要な役割を演じた。時間の経過とともに日系人の居住地は拡大し、多様な野菜類の栽培に従事するようになった。 第二次世界大戦中の強制収用に伴い、日系農業は中断を余儀なくされたが、戦後、日系人の帰還に伴って日系社会が再建された。しかし、都市化の進行によって、また、一世の高齢化に伴って、野菜栽培を中心とした日系農業は衰退した。戦後の日系経済の中心となったのは植木業と庭園業であった。日系植木生産者の多くは、ウエストロサンゼルスからの移転者であった。庭園業は戦前においても一世にとっての主要な業種であったが、戦後の日系人にとっても容易に就業できる業種であった。こうして、植木業と庭園業は戦後の日系社会の重要な産業となった。都心部からの日系人の流入に伴って、ガーデナ・トーランス地域の日系人口は増加した。 都市化の進行に伴ってガーデナ・トーランス地域の農業的土地利用は縮小を余儀なくされ、1980年代までには農地はほとんど消失していた。住宅地化、工業化が顕著であり、特にトーランス市にはトヨタ自動車をはじめとする日系企業の進出が著しい。最後まで存続したのが植木園(鉢植えの花壇苗、グリーンプランツ、鉢植えの花卉)の経営である。しかし、近年、日系の植木業はさらに衰退の危機に瀕している。日系4世の高学歴化が進み、後継者不足は深刻である。外的要因としては、都市化の圧力に加えて、経済の停滞、技術革新(例えば、プラグ方式の普及)、ラティーノ生産者の増加と競合、大型量販店の進出と低価格競争などの影響も深刻である。<br> 2007年8月に行った現地調査により、限定された農業的土地利用の存続が明らかになった。それは、植木業の残存が認められたことである。小規模な植木園が依然として経営を続けており、特に、高圧送電線下の細長い土地を電力会社から借地することにより、鉢物類が栽培されている。また、特殊な残存形態として、日系農民がトーランス飛行場内に借地をして、トマト、イチゴ、とうもろこしを栽培する事例が確認された。農産物は道路に面した販売所で直売され、新鮮な商品を楽しむ常連に支えられて経営が維持されていた。 ロサンゼルス大都市圏は、経済活動、人種民族、文化景観において多様でダイナミックな地域である。今回の調査によって明らかとなったガーデナ・トーランス地域における土地利用の変化と日系農業の変化は、ロサンゼルス大都市圏のひとつの面を示している。こうした事例研究を蓄積することが重要である。

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