著者
石川 菜央
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2006, pp.10, 2006

_I_ 本研究の目的と着眼点牛同士を闘わせ,先に逃げた方を負けとする日本の闘牛は,現在,岩手県山形村,新潟県中越地方,島根県隠岐,愛媛県宇和島地方,鹿児島徳之島,沖縄県の6地域で行われている.従来の意義を失った多くの伝統行事が,消滅あるいは縮小する中,闘牛はいかに維持され,地域に対してどのような意義を持つのであろうか.本研究では,徳之島の闘牛を取り上げ,担い手に着目して,その存続の形態を解明する.話者は,宇和島地方や隠岐を事例とした研究で,存続に最も重要なのは,闘牛の飼育者である「牛(うし)主(ぬし)」,牛をけしかける「勢子(せこ)」を中心とする担い手であることを指摘した.また,家族や近所の住民が彼らを支え,様々な形で闘牛に関わることで,闘牛が地域の行事として成り立つことを示した.両地域では,担い手の高齢化や後継者不足などの課題を,観光化や行政の支援で補ってきた.これに対し徳之島は,闘牛開催地の中で唯一,後継者不足がない地域であると言われる.本研究では,徳之島の闘牛において,次世代の担い手が続々と誕生している仕組みと,それを可能にしている独自の闘牛の特徴を全国の中で位置づけることを目的とする.具体的な手順として,闘牛の始まりなどの歴史的経緯,行政や学校など闘牛を取り巻く諸機関の対応を踏まえる.次に闘牛の「闘」の部分に注目し,牛が勝つことの徳之島での意義を提示し,そして,次に闘牛の「牛」の部分に注目し,担い手の日常生活の多くを占める牛の飼育の場や売買を中心に,次の担い手が育つ仕組みを提示する.徳之島を中心に闘牛を通した交流の全国化についても言及する._II_ 闘牛大会と担い手牛を飼うことは,経済的には赤字であり,仕事以外の時間の大半を費やさねばならない. その負担を超えるものとして,牛主たちは,勝った時に湧き上がる「ワイド,ワイド」という徳之島独特の掛け声で踊る時,最もやりがいを感じるという.勝利は,お金では買えないからこそ,価値があり,仕事の成功などの社会生活とは異なる尺度として意味を持つ.闘牛大会で牛が勝つということは,牛だけではなく,牛主自身の評価にもつながるのである.それは,徳之島でしか通用しない価値観とも言えるが,担い手にとっての喜びは何よりも実感を伴った,代替不可能なものである.就職や進学で島を出た若者が,闘牛のために島へ戻ってきたり,本土で事業を行い成功した島出者が牛のオーナーとして闘牛に関わり続けたりするように,いったん身に付けた闘牛に関する価値観は島を出ても保たれる._III_ 牛の飼育の次世代の担い手牛主の1年の大半を占める活動は飼育である.その現場となる牛舎に集う人々を分析した結果,成人男性だけではなく,小中高生や女性も,飼育の主戦力として活躍していることが分かった.また,牛舎は牛の世話だけではなく,人々が立ち寄って,牛の話をしながら飲食を共にするような場所となっている.これが,様々な人が闘牛に関わるきっかけを作り,新たな担い手が生まれる基盤となる.牛主同士の交流に関して重要なのが牛の売買である.徳之島における特徴は,強い牛を求める担い手達の執着が,闘牛の全国化を推し進めていることである.各地から集まってきた闘牛が徳之島を経由して,別の開催地へ売られていく.徳之島を中心として担い手間の交流はますます盛んになり,闘牛を力強く支えていくであろう.

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