著者
石川 菜央
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:13479555)
巻号頁・発行日
vol.77, no.14, pp.957-976, 2004-12-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
84
被引用文献数
8 3

宇和島地方において闘牛が存続してきた要因を,担い手の生活や行動に注目して分析した結果,以下の3点が明らかになった.第1に,生業における牛の必要性が農民の娯楽としての闘牛を生み出した.ゆえに農業が機械化されると闘牛は消滅した.しかし第2の要因である観光化と担い手の組織化が,これを復活させた.宇和島市・南宇和郡の各組織が観光化と地域の状況に対応しながら大会を維持してきたことは,現在の共存関係につながっているといえる.組織を支える第3の要因として,担い手の中心である牛主や勢子,それを支えるヒイキなどが組織内で育まれていることが最も重要である.彼らは勝負の時だけではなく,牛の世話や飲食など日常生活を通して交流し,確固たる人間関係を築いており,そこから次の担い手が再生産されている.闘牛は伝統行事であると同時に,現在においても担い手の生活の核となり,新たな人間関係を生み出しているのである.
著者
石川 菜央
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:13479555)
巻号頁・発行日
vol.81, no.8, pp.638-659, 2008-11-01 (Released:2010-03-12)
参考文献数
51
被引用文献数
3 4

本研究の目的は, 闘牛開催地が全国的に担い手不足に悩む中, 徳之島において闘牛が盛んに行われ, 若い後継者が続々と現れている要因を解明することである. 具体的には, 闘牛大会の運営方法, 後継者を生み出す仕組み, 担い手にとっての意義の3点に着目し, 娯楽の側面, 行事をめぐる対立, 女性の役割を踏まえなら分析した. その結果, (1) 島内からの多数の観客が大会を興行として成り立たせ, 行政の支援や観光化なしでの運営を可能にしていること, (2) 牛舎が若者を教育する場になる上, 大会での応援を通して牛主以外の多くの人々が闘牛に関わること, (3) 親しい人物のウシとは取組を避け, 取組相手とも友人関係を築く切替えの早さを前提に, ウシの勝敗が日常の社会的評価とは異なる価値基準として島内で確立していることを指摘できた. 担い手は, このような闘牛に強い愛着を持っており, 島に住み続ける大きな動機にもなっている.
著者
石川 菜央
出版者
The Human Geographical Society of Japan
雑誌
人文地理 (ISSN:00187216)
巻号頁・発行日
vol.61, no.6, pp.514-527, 2009 (Released:2018-01-10)
参考文献数
13
被引用文献数
2 2

This paper has two purposes. One is to identify the features of Japanese bullfighting, which originated as an amusement during agricultural off-seasons, and has continued to exist as a traditional event up to the present time. The other is to show the significance and characteristics of Japanese bullfighting as compared to foreign, especially Spanish, bullfighting.The main factors that tend to support the tradition vary by district, for example, as a tourist event, as an appreciation of a traditional event, and as a local amusement. However, there is one overriding common factor. It is the social relationships among the actors engaged in bullfighting that keep it alive. Bull owners get acquainted and become familiar with each other through trading bulls. Bull owners and facilitators are tied together through a deep confidential relationship. Bull owners, their families, and neighbors strengthen the ties among them through cheering on their bulls together.Bulls in Spanish bullfighting symbolize nature. There, bulls are regarded as an enemy of humans. Compared with this, bulls in Japanese bullfighting symbolize humans. A strong bull symbolizes its owner’s power. A battle between bulls is like that between people. Therefore, people and bulls make up a team and fight together. Japanese bullfighting has a characteristic that the Spanish version does not have, which is a social relationship between people centered on their bulls. Networks of bullfighting actors are increasingly becoming widespread across the country. Such a social relationship created through bullfighting is called ushi-en.
著者
石川 菜央
出版者
名古屋大学
雑誌
若手研究(B)
巻号頁・発行日
2009

21年度は,主に岩手県久慈市および沖縄における調査を実施した。久慈市では,市内で開催された全国闘牛サミットおよび全国闘牛大会にて,来場者へのアンケート調査,牛主への聞き取り,資料収集を行った。沖縄では,闘牛がさかんなうるま市や読谷村,北谷村,今帰仁村などで,牛舎を訪れ,牛主に対する聞き取りを行った。22年度は,調査のまとめと発表,論文化を重点的に行った。研究の目的における「日本における闘牛の存続の要因を解明する」点について,現代では闘牛を通した担い手の交流が活発になっていることに着目し,成果発表を行った。
著者
石川 菜央
出版者
一般社団法人 人文地理学会
雑誌
人文地理 (ISSN:00187216)
巻号頁・発行日
vol.57, no.4, pp.374-395, 2005
被引用文献数
1 2

A number of traditional events have recently been on the verge of extinction in Japan mainly because of a lack of successors. The tradition of bullfighting in the Oki Islands has fortunately continued up to now. This study investigates how bullfighting is continued and its significance in the Oki Islands by concentrating on the connection between the social relations created between the bulls and local society. I focus on the various inhabitants who run the bullfighting, particularly the following four types of people: <i>ushinushi</i> (bull's owner and trainer), <i>tsunadori</i> (bull's motivator), the <i>ushinushi's</i> neighbors, and the <i>ushinushi's</i> family. Currently, bullfighting takes place in <i>Saigo</i> town, <i>Tsuma</i> village and <i>Goka</i> village.<br>First, I consider the transition and background of bullfighting. Bullfighting in the Oki Islands underwent changes in connection with people's occupations. It is said that bullfighting began in common pastures as a local attraction in the agricultural off-season in the <i>Kamakura</i> era. When people started producing beef cattle in the <i>Meiji</i> era, bulls played the roles of draft cattle, beef cattle and fighting bulls all at the same time. However, agricultural mechanization and the depreciation of cattle reduced bullfighting activities in the 1960s. When tourism started to thrive in the Oki Islands in the 1970s, bullfighting was moved back into the limelight as a resource for tourism. <i>Ushinushis</i> began casual bullfighting for tourists and charged admission. Thus tourism has supported bullfighting. In addition to that, town and village offices began assisting bullfighting in the 1980s because they expected the traditional event to inspire the region and create a local identity. Now, there are bullfighting associations in each town and village. They cooperate with the local municipal governments and run bullfighting events in each region.<br>Next, I focus on <i>ushinushis</i> and <i>tsunadoris</i>. There are forty-three <i>ushinushis</i> in the Oki Islands. Raising bulls incurs some costs, but <i>ushinushis</i> say that the sheer pleasure of training bulls and associating with other <i>ushinushis</i> is worth it. They raise bulls through a trial and error process and have a special feeling for their own bull. They gather and train bulls every week. After training, they exchange information about bulls over drinks and food. The most important point of contact for them is the "<i>shoma</i>, " which is the buying and selling of bulls. Once they have gone through the <i>shoma</i>, they become close friends, part of the brotherhood, because through the <i>shoma</i>, they consider each other as fully-fledged <i>ushinushis</i>. Because they want strong bulls, they trade them beyond the boundaries between towns and villages. <i>Shoma</i> creates a wide-ranging network of <i>ushinushis</i>. At the fight, the ushinushi entrusts his bull to the <i>tsunadori</i>, the motivator of the bull. The <i>ushinushi</i> has every confidence in the <i>tsunadori</i>, and the <i>tsunadori</i> has a strong sense of responsibility for obtaining victory. They build up trustful relations over long periods of time and cooperate with one another to train the bull. To emphasize the unity of their place of residence, the <i>ushinushis</i> tend to ask someone from their home town or village to become their <i>tsunadori</i>. The interaction between <i>ushinushis</i> and <i>tsunadoris</i> increases the solidarity of their community.<br>Thirdly, I focus on the <i>ushinushi's</i> neighbors and family. Neighbors give gifts of sake or money two weeks before a bullfight. The <i>ushinushi</i> holds a banquet at his house in return for the gifts. The neighbor who gives sake is the most important of all the people giving gifts. They always attend the banquet and cheer on the <i>ushinushi</i> on the day of the bullfighting.
著者
石川 菜央
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2006, pp.10, 2006

_I_ 本研究の目的と着眼点牛同士を闘わせ,先に逃げた方を負けとする日本の闘牛は,現在,岩手県山形村,新潟県中越地方,島根県隠岐,愛媛県宇和島地方,鹿児島徳之島,沖縄県の6地域で行われている.従来の意義を失った多くの伝統行事が,消滅あるいは縮小する中,闘牛はいかに維持され,地域に対してどのような意義を持つのであろうか.本研究では,徳之島の闘牛を取り上げ,担い手に着目して,その存続の形態を解明する.話者は,宇和島地方や隠岐を事例とした研究で,存続に最も重要なのは,闘牛の飼育者である「牛(うし)主(ぬし)」,牛をけしかける「勢子(せこ)」を中心とする担い手であることを指摘した.また,家族や近所の住民が彼らを支え,様々な形で闘牛に関わることで,闘牛が地域の行事として成り立つことを示した.両地域では,担い手の高齢化や後継者不足などの課題を,観光化や行政の支援で補ってきた.これに対し徳之島は,闘牛開催地の中で唯一,後継者不足がない地域であると言われる.本研究では,徳之島の闘牛において,次世代の担い手が続々と誕生している仕組みと,それを可能にしている独自の闘牛の特徴を全国の中で位置づけることを目的とする.具体的な手順として,闘牛の始まりなどの歴史的経緯,行政や学校など闘牛を取り巻く諸機関の対応を踏まえる.次に闘牛の「闘」の部分に注目し,牛が勝つことの徳之島での意義を提示し,そして,次に闘牛の「牛」の部分に注目し,担い手の日常生活の多くを占める牛の飼育の場や売買を中心に,次の担い手が育つ仕組みを提示する.徳之島を中心に闘牛を通した交流の全国化についても言及する._II_ 闘牛大会と担い手牛を飼うことは,経済的には赤字であり,仕事以外の時間の大半を費やさねばならない. その負担を超えるものとして,牛主たちは,勝った時に湧き上がる「ワイド,ワイド」という徳之島独特の掛け声で踊る時,最もやりがいを感じるという.勝利は,お金では買えないからこそ,価値があり,仕事の成功などの社会生活とは異なる尺度として意味を持つ.闘牛大会で牛が勝つということは,牛だけではなく,牛主自身の評価にもつながるのである.それは,徳之島でしか通用しない価値観とも言えるが,担い手にとっての喜びは何よりも実感を伴った,代替不可能なものである.就職や進学で島を出た若者が,闘牛のために島へ戻ってきたり,本土で事業を行い成功した島出者が牛のオーナーとして闘牛に関わり続けたりするように,いったん身に付けた闘牛に関する価値観は島を出ても保たれる._III_ 牛の飼育の次世代の担い手牛主の1年の大半を占める活動は飼育である.その現場となる牛舎に集う人々を分析した結果,成人男性だけではなく,小中高生や女性も,飼育の主戦力として活躍していることが分かった.また,牛舎は牛の世話だけではなく,人々が立ち寄って,牛の話をしながら飲食を共にするような場所となっている.これが,様々な人が闘牛に関わるきっかけを作り,新たな担い手が生まれる基盤となる.牛主同士の交流に関して重要なのが牛の売買である.徳之島における特徴は,強い牛を求める担い手達の執着が,闘牛の全国化を推し進めていることである.各地から集まってきた闘牛が徳之島を経由して,別の開催地へ売られていく.徳之島を中心として担い手間の交流はますます盛んになり,闘牛を力強く支えていくであろう.
著者
石川 菜央 岡橋 秀典 陳 林
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
E-journal GEO (ISSN:18808107)
巻号頁・発行日
vol.11, no.2, pp.502-515, 2016 (Released:2017-03-29)
参考文献数
12

筆者の3人は,広島大学大学院の分野融合型のリーディングプログラムであるたおやかプログラムにおいて,現地研修の企画,実施を担当してきた.筆者らは,ともに地理学を学問的バックグラウンドとしてもっている.本稿では,地理学で培われた地域への視点や調査法が,分野融合型教育における現地研修にどのように貢献し,そして実施後にいかなる課題が残されたのかを考察した.検討の結果,事象を地域内の文脈でとらえ,さまざまな要素と関連づけて地域を総合的に把握する視点や,現地調査でオリジナルなデータを得る方法などが研修にも有効であった.また,これまでの地理学的研究では控える傾向があった,地域内の現象の比較的早期の一般化や,課題を解決するための具体的提案も研修という見地から学生たちに積極的に行わせた.今後は,長期間にわたって地域に繰り返し足を運び,さらに研究を深めることや,より長期の現地研修と効果的に結びつけることが課題である.
著者
野中 健一 石川 菜央 宮村 春菜
出版者
三重大学
雑誌
人文論叢 : 三重大学人文学部文化学科研究紀要 (ISSN:02897253)
巻号頁・発行日
vol.20, pp.133-143, 2003-03-25

本稿では、人と生き物の関係を流動的かっ可変的なものとしてとらえ、人と生き物とが、どのように結ばれているのかということ、そこに関連する諸側面を明らかにすることを目的とした。対象地域としてフィリピン、カオハガン島を選定し、島民にとって身近な生き物であるニワトリ、イヌ、ホシムシを例に取り上げた。その結果、島民はそれぞれの生き物に対して、臨機応変に対応を変えつつさまざまな関係を成り立たせていた。それは関係そのものに対する融通性と、関係を結ぶ生物の選択に対する融通性としてとらえることができた。また、人と生き物の関係は、島の社会と大きく関わっており、人間どうしのつながりをもつくっていることが明らかとなった。さらに、人と生き物の関係の間に技能が関連していることは、それぞれの関係が、一定の型にはめられるものでなく、人と生き物の実際のふれあいにより築くことが出来るものであることを示している。