- 著者
-
中林 一樹
- 出版者
- 公益社団法人 日本地理学会
- 雑誌
- 日本地理学会発表要旨集
- 巻号頁・発行日
- vol.2005, pp.75, 2005
1.中越地震の特徴 中越地震は、新潟地震(1964)の40年記念の年に発生した。10月23日午後5時56分、わが国観測史上2回目の「震度7」の強い揺れと、3回に及ぶ「震度6強・弱」の強い余震が引き続いた。被害は、死者40人(震災関連死を含む)、負傷者2,860人、全壊大破家屋3,250棟、半壊5,960棟、一部損壊家屋は75,500棟以上に達した。引き続く余震は、多くの人を自宅外に避難させ、ピーク時は10万人を超えた。 特徴的な被害は、崖崩れや宅地崩壊などの被害である。元々「山崩れ地帯」である中越地域ではあるが、主震や余震の震源直上の中山間地域では、棚田や養鯉池が山腹に拓かれた(外部との連絡道路である)幹線道路や斜面に建つ家屋とともに大崩落した。いわば「山塊崩落」が至る所で発生し、斜面全体が「ゆるみ」、情報的に交通的にも「孤立集落」が多発した。さらに、崩落した大量の土石が河川を埋め、「自然ダム」が発生し、谷筋の集落をせき止められた泥水が水没させた。こうして、山古志村では「全村避難」を行い、その他の被災地でも孤立集落や自然ダム下流の集落などが「全集落移転」を行った。 地震から2ヶ月後に、雪が降った。3000戸の応急仮設住宅が配置も工夫され、積雪以前に完成したことは幸いであった。阪神・淡路大震災の教訓でもあったが、地域(集落)の絆は驚くほど強く、避難所においても、応急仮設住宅においても、「地域」毎にまとまって入居している。4ヶ月の冬を迎え、春以降の本格復興への話し合いが進められた。2.台湾集集地震との比較とその被災地復興の基本方向 台湾集集地震(1999)の被災状況と共通する被災様相を呈している。中山間地域が主に被災し、台湾の震災復興では「社区総体営造」という概念が、その復興の基本となっている。これは、「地域社会の総合的なまちづくり」という計画理念である。被災地では住宅再建と産業復興を、埋もれていってしまった地域の文化の再興や新しい産業の創出など、ソフト・ハード両面からの地域主体の復興への取り組みである。3.中越地震における中山間地域の復興の基本方向 幸い、中越地域は、養鯉業や魚沼産コシヒカリ米という「名産品」を生む地域であり、地域がほこる「闘牛」文化もあり、この地域には他の中山間地域にはない経済力と地域力があるように思われる。しかし、高齢社会の進展した積雪地域であることは、阪神・淡路大震災とも異なる復興プログラムを提供することになる。個々の生活再建には、「被災者生活再建支援法」と「新潟県による生活再建支援」諸制度による支援が基本となるが、孤立集落や山塊崩落に巻き込まれた集落では「防災集団移転事業」などによる移転型「集落復興」を必要としよう。その基本は、動いた山塊や傾斜地の「土留め」と「道路再建」という中山間地域のインフラ復興である。本格復興には相当の長期化が予想される。その間の台風災害による複合災害化が再び発生すると、その復興はさらに長期化するかもしれない。市町村合併による行政体制の変化とともに、注目していなければならない、復興過程の課題であろう。 もう一つの広域的な課題として、温泉観光やスキー観光などの「風評被害とその復興」も大きな課題となっていることを忘れてはならない。