著者
中林 一樹
出版者
東京都立大学都市研究センター
雑誌
総合都市研究 (ISSN:03863506)
巻号頁・発行日
no.19, pp.p113-132, 1983-10

本論は,戦後経済成長期以降に欧米大都市で論じられてきた,インナーシティ問題について,首都圏の内部市街地である東京区部での現状分析を試みたものである。本論では,インナーシティ問題的状況を把握するためのデータの収集をおこない,今後の分析の資料とするとともに,収集したデータの若干の分析をおこなった。その結果,東京においてインナーシティ問題が顕在的であるのは,都心部ではなく,旧来の住工商混在地域である都心周辺高密市街地であることが確認しえた。This is a colleetion of data about soeio-eeonomie and living conditions of inner-area of Tokyo metropolis and some related comments. After a period of high economic growth,urban economics decline,so-called inner-city problems,was discussed in industrial cities and industrial areas of metropolis,especially in Europe and North Ameriea. In Japan,since the "Oil-Shock" in 1974,there have been some discussions on inner-city problems,but there were no conclusion,whether inner-city problems have occuerd in Japan or not. In this paper,32 kinds of data concerning inner-city problems in the 23 wards of Tokyo were selected and collected. As a result of the analysis of that data,it appears that areas where inner-city problems occured are not of the inner-core of Tokyo -Chiyoda and Minato wards-,but the areas of high-density and complicated land-use areas around the inner-core -Arakawa,Sumida and Taitoh wards. The common characteristics of these areas are the decrease of population both during the day and night,an increase in ratio of 65-year-old persons and older,a decrease in employees in manufacturing industries and some retail trades,a decrease in growth ratio of the annual amount of selling and trading of industrial goods,a high density of population and buildings,a high ratio of small dwellings under the minimum standard and small lots under 50m^2,and a high ratio of lower-income-households. These poblematic areas are the traditional inner-area mixed with dwellings,small factories and shops.
著者
澤田 雅浩 中林 一樹 市古 太郎
出版者
一般社団法人 地域安全学会
雑誌
地域安全学会論文集 = Journal of social safety science (ISSN:13452088)
巻号頁・発行日
vol.6, pp.173-180, 2004-11-01
参考文献数
10
被引用文献数
2

<p>A reconstruction process from an earthquake disaster in Turkey has aspecial characteristic point Especially, the most characteristic points are the system of support for reconstructing a person's destroyed building caued by an earthquake disaster. Also development of a new settlement area that is considered great importance to the ground condition. These have been invented by the law, system and organization for a disaster in Turkey. In addition, after the Marmara earthquake, there were some changes in the law, system and organization about a disaster. By this change, it has been expected a different correspondence to afuture disaster. It is the purpose of this paper to examine the future changes of the characteristic points for a disaster in Turkey by arranging a series of processes.</p>
著者
小山 宏孝 中林 一樹
出版者
地域安全学会
雑誌
地域安全学会論文報告集
巻号頁・発行日
no.6, pp.107-114, 1996-11

現在社会では、特に都市部において、活動のエネルギーを電力に依存する割合は大きく、しかも年を追うごとに高くなっている。また、電力は様々なライフラインを支える最も基礎的エネルギーでもある。そのため、都市部を中心に大規模な停電が発生した場合には、停電地域のみならず、広範囲にわたって、その影響が及ぶと予想される。そこで本研究では事業所活動を取り上げ、停電が事業所活動に及ぼす影響や停電対策の現状を、アンケート調査をもとに実態的に明らかにした。また、東京都区部を想定し、その停電の影響度合いの地域性を明らかにすることを目的とした。アンケート調査の結果によると、業種によって停電が事業所活動に与える影響度合いには差があった。建設業や運輸業では比較的影響は小さいとしているが、製造業や飲食店、大規模小売店、金融機関では非常に影響が大きいと評価している。従業員数規模別においては、業種間ほど大きな差は見られなかったものの、従業員数規模が大きくなるにつれて、停電による事業所への影響も大きくなった。個々の設備に対する支障とともに、営業・業務活動に対する総合的な支障程度として設定した総合支障度については、3種類の方法によって、その妥当性を検証した。第一に、設備別の影響度から各事業所ごとの支障値を求め、総合支障度との関係をみる方法、第二に、停電による影響が大きいとされた設備の支障度と、総合支障度との関係をみる方法、第三に、総合支障度との相関関係の高かった設備の支障度と、総合支障度との関係をみる方法の3種類により、総合支障度には、事業所活動全般に対する支障の程度を示す指標として、ある程度の客観性があることが検鉦された。地域性をみるための、東京都区部の事業所の分布実態に基づいた総合支障度を用いての今回の例示では、あまりにも集計単位が粗っぽく、不十分なものであった。地域単位の細分化や副次的影響の加味、停電の発生日時や継続時間の考慮など、不完全な部分が多々存在し、多くの問題が残されてしまった。停電対策は、停電による被害を受けた経験のある事業所も多いにもかかわらづあまり進んでいない。非常用電源を設置している事業所は全体の3割にも満たず、しかもその半分はパソコン等の電池類で占められていた。それは医療機関においても例外ではなった。また、非常用電源が設置されていても、医療機関などでは、その能力が不十分であるをいわざるをえない。その原因には、非常用電源の設置や維持に掛かる費用の問題と、他の防災対策も含めた停電や非常事態への認識の甘さが存在していた。停電によって機能が停止した設備の代替手段についても、人的な対応以外には有効な手段がほとんど存在しないことがわかった。停電にともなう事業所の営業・業務活動の支障は大きいにもかかわらず、停電によって機能を停止した設備類の多くに、代替手段の決め手はなかった。また、それを補うべく、非常用電源の設置やその能力についても、費用の面などから限界があった。便利で安全とされ、一見クリーンでもあるとされた電気に対して、必要以上に依存した社会から脱却することが、まず何よりの対策であり、そして必要なことであろう。
著者
中林 一樹 大江 守之
出版者
公益社団法人 日本都市計画学会
雑誌
都市計画論文集 (ISSN:09160647)
巻号頁・発行日
vol.19, pp.499-504, 1984-10-25 (Released:2020-09-01)
参考文献数
4

In this paper, the relationship between residential movement of old settlers in the inner area of Tokyo and tendency to reconstruction of their houses is discussed for the urban renewal and social vitalization. About 40% of population of inner area dwell for 20 years or more in the same area. They can be called the old settlers. 68% of them fave land and house of their own. 63% of them are small industrialists or merchants, who dwell in the inner area mainly for the reason of their business and accessibility. 43% of them have rebuilt their houses combined with small factories or shops after 1965 and 31% of them will rebuild their houses in near future. These reconstructions mean the urban renewal in the context that their small wooden houses area scrapped and small buildings of 4-6 stories are rebuilt on each lot. These reconstructions raise the level of each house and living condition.
著者
大江 守之 中林 一樹
出版者
公益社団法人 日本都市計画学会
雑誌
都市計画論文集 (ISSN:09160647)
巻号頁・発行日
vol.19, pp.505-510, 1984-10-25 (Released:2020-09-01)
参考文献数
7

The residents of inner area of Tokyo can be devided into three types, “integrated residents”, “new integrated residents”, and “temporary residents”. The purpose of this articles is to analize the residential movement and consciousness of “new integrated residents” through a questionnaire. About 40% of the new integrated residents are from inner area of Tokyo and accordingly the new integrated residents are not necessarily “new” integrated residents. Their behavior is not likely to lead to friction against “integrated residents”. Consequently, to supply to the new integrated residents with condominiums is one of the methods for the social integration of inner area of Tokyo.
著者
寺阪 昭信 若林 芳樹 中林 一樹 阿部 和俊
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.61, no.1, pp.159-173, 1988-05-31 (Released:2008-12-25)
参考文献数
19
被引用文献数
2 3

本論文は,情報の伝達が空間に果たしている役割を,高度情報化社会といわれている現在の日本の状況のなかで捕らえてみることにある。コンピュータ技術の発展と通信のデジタル化による新しいネットワークの形成は, 1982年の第2次通信の自由化により,ニューメディアの進展となって現れた。地域的なネットワークの例として, NTTによるINSモデルの実験は東京武蔵野・三鷹地区で1984年から行われたが,これを実用化するまでには解決すべき多くの問題があることが明らかとなった。 CATVは初期の難視聴対策から出発して,ニューメディアとして普及するにまでに至った。可視チャンネル数の増加に加えて自主放送を行うことにより,地方都市では地域活動の活性化と自治体と住民をつなぐ役割を果たし,農村地区では地域の振興に,ニュータウンや大都市域では住民への情報の供給やコミュニティーの形成に役立つ可能性を開いている。 情報化の進展にともない,企業の分散が予測されたが,東京区部,とくに都心3区への中枢管理機能はかえって集中する傾向が見られる。これはマネージメントのための情報を求める企業の立地行動によるものである。さらに,最近では東京は世界的な規模での金融市場としての重要度を高めてきたことから,外資系企業のオフィスの立地が盛んになってきている。その需要にたいしてオフィス用ビルの建設が進んでいるが,不足ぎみなので値上がりが著しい。こうして都心のビジネス地区は拡大している。 このような動向から,日本における情報の地域格差は拡大している。東京を中心とする首都圏への情報の集中は著しく,大阪を初めとする他の大都市や地方都市の比重は相対的に低下している。民間における情報化の進展や情報サービス業の発展のほかにも,郵政省のテレトピア計画や通産省のニューメディアコミュニティー構想など,政府は情報化の進展をはかっている。これらが実現すると地域社会や住民の生活を大きく変える可能性がある。このような社会の変化に対して,我が国の地理学からの研究は立ち遅れている。
著者
中林 一樹
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2005, pp.75, 2005

1.中越地震の特徴 中越地震は、新潟地震(1964)の40年記念の年に発生した。10月23日午後5時56分、わが国観測史上2回目の「震度7」の強い揺れと、3回に及ぶ「震度6強・弱」の強い余震が引き続いた。被害は、死者40人(震災関連死を含む)、負傷者2,860人、全壊大破家屋3,250棟、半壊5,960棟、一部損壊家屋は75,500棟以上に達した。引き続く余震は、多くの人を自宅外に避難させ、ピーク時は10万人を超えた。 特徴的な被害は、崖崩れや宅地崩壊などの被害である。元々「山崩れ地帯」である中越地域ではあるが、主震や余震の震源直上の中山間地域では、棚田や養鯉池が山腹に拓かれた(外部との連絡道路である)幹線道路や斜面に建つ家屋とともに大崩落した。いわば「山塊崩落」が至る所で発生し、斜面全体が「ゆるみ」、情報的に交通的にも「孤立集落」が多発した。さらに、崩落した大量の土石が河川を埋め、「自然ダム」が発生し、谷筋の集落をせき止められた泥水が水没させた。こうして、山古志村では「全村避難」を行い、その他の被災地でも孤立集落や自然ダム下流の集落などが「全集落移転」を行った。 地震から2ヶ月後に、雪が降った。3000戸の応急仮設住宅が配置も工夫され、積雪以前に完成したことは幸いであった。阪神・淡路大震災の教訓でもあったが、地域(集落)の絆は驚くほど強く、避難所においても、応急仮設住宅においても、「地域」毎にまとまって入居している。4ヶ月の冬を迎え、春以降の本格復興への話し合いが進められた。2.台湾集集地震との比較とその被災地復興の基本方向 台湾集集地震(1999)の被災状況と共通する被災様相を呈している。中山間地域が主に被災し、台湾の震災復興では「社区総体営造」という概念が、その復興の基本となっている。これは、「地域社会の総合的なまちづくり」という計画理念である。被災地では住宅再建と産業復興を、埋もれていってしまった地域の文化の再興や新しい産業の創出など、ソフト・ハード両面からの地域主体の復興への取り組みである。3.中越地震における中山間地域の復興の基本方向 幸い、中越地域は、養鯉業や魚沼産コシヒカリ米という「名産品」を生む地域であり、地域がほこる「闘牛」文化もあり、この地域には他の中山間地域にはない経済力と地域力があるように思われる。しかし、高齢社会の進展した積雪地域であることは、阪神・淡路大震災とも異なる復興プログラムを提供することになる。個々の生活再建には、「被災者生活再建支援法」と「新潟県による生活再建支援」諸制度による支援が基本となるが、孤立集落や山塊崩落に巻き込まれた集落では「防災集団移転事業」などによる移転型「集落復興」を必要としよう。その基本は、動いた山塊や傾斜地の「土留め」と「道路再建」という中山間地域のインフラ復興である。本格復興には相当の長期化が予想される。その間の台風災害による複合災害化が再び発生すると、その復興はさらに長期化するかもしれない。市町村合併による行政体制の変化とともに、注目していなければならない、復興過程の課題であろう。 もう一つの広域的な課題として、温泉観光やスキー観光などの「風評被害とその復興」も大きな課題となっていることを忘れてはならない。
著者
中林 一樹
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2007, pp.209, 2007

<BR>(1)復興対策の事前準備の重要性<BR> 阪神・淡路大震災(1995)では、全壊全焼家屋11万棟(195千戸)に及ぶ被害からの復興を、住宅戸数では概ね5年間で、基盤整備事業による都市復興は18地区300haで10年を超える長期の都市復興を進めている。阪神・淡路大震災の多くの教訓の一つが、「復興準備対策」あるいは「事前復興対策」である。防災基本計画の改定(97)では復興対策の充実が示されたが、進展していない。<BR> 復興対策は起きてから考えるのでは遅い。震災前に街づくりを進めていた街では復興が早い。これらは、阪神・淡路大震災の教訓である。阪神大震災を遙かに上回る被害が想定される首都圏では、復興の迅速性は首都機能被害(間接被害)の規模を規定する。復興が長引けば、東京の地域社会・地域経済がもたらす間接被害が増大する。<BR><BR>(2)「災害からの復興」の理念<BR> 阪神・淡路大震災・新潟県中越地震や台湾921大震災などから学ぶ地域復興対策の理念は、次の4つである。<BR>1)連続復興<BR> 避難生活から応急仮設住宅・仮設作業所などの応急復旧へ、そして本格復興までを連続的に進める。第1は「地域社会(生活・暮らし)」、第2は「地域空間」、第3は「地域経済」の連続性である。<BR>2)複線復興<BR> 被災家族、被災事業所の復興需要は多様である。その多様な復興需要にどのように対応するか。その鍵は、「復興基金」制度の活用である。<BR>3)地域こだわり復興<BR> 被災した地域社会と地域経済を支えてきた地域の仕組み」にこだわる復興である。やはり、第1は「地域社会」、第2は「地域空間」、第3は「地域経済」への『こだわり』である。とくに、高齢社会における災害復興では、地域社会へのこだわりが被災者の多くにとって、重要な要素となる。<BR>4)総合復興<BR> 都市-街-住まい-生活-しごと(暮らし)-文化・教育などの復興を如何に連続的に地域で展開できるか。「地域の復興」は総合的な街づくり・都市づくりとしての取り組みが重要である。<BR><BR>(3)東京直下地震の被害想定<BR> 内閣府中央防災会議による東京湾北部地震の被害想定によると、東京を中心に南関東で全壊全焼85万棟、死者11千人、被害金額112兆円(うち間接被害46兆円)に達する。自宅喪失世帯160万世帯と想定され、住宅再建あるいは都市的復興に係る被害は阪神・淡路大震災7~8倍に達する。<BR><BR>(4)東京都における事前復興対策<BR>1)都市復興マニュアル・生活復興マニュアル<BR> 東京都は、阪神・淡路大震災の教訓を受け、阪神・淡路大震災を遙かに上回る被害が想定される東京の地震災害では、復興が重要な課題となるとして、1997年に「都市復興マニュアル」を策定公表した。復興へのプロセスでは、都市計画的に被災市街地の復興の取り組みが最も早い取り組みとなる。震災から2週間で復興事業区域を選定し、2か月で都市計画決定するためのマニュアルを策定した。翌98年に、復興体制・住まい・生活・暮らし・教育文化・経済雇用の復興のための行政対応をとりまとめた「生活復興マニュアル」をとりまとめた。<BR>2)震災復興グランドデザイン<BR> マニュアルは手続きに過ぎず、東京の都市復興はどんな都市像・街像を目指すのか。「復興とは、その地域のトレンドに戻すことが基本」であるから、都市のトレンドを踏まえて、震災復興で目指すべき都市像を検討し、2001年に「震災復興グランドデザイン」を公表した。<BR>3)震災復興マニュアル(プロセス編・施策編)<BR> 2003年都市復興と生活復興のマニュアルを改定し、都民向け「プロセス編」と行政職員向け「施策編」とした。<BR><BR>(5)震災復興を規定する事前の街づくり<BR>1)東京都「復興市民組織育成事業」<BR> 膨大な被害からの復興には、地域や個人による自助・共助と公助との「協働」による取り組みが不可欠と『地域協働復興』を震災復興の基本概念に設置し、その事前推進として、地域に復興時に主体となるべき「市民組織」を育成していこうと復興市民組織育成事業(2004~06年度)を実践してきた。「復興まちづくり模擬訓練」である。<BR>2)「防災都市づくり推進計画」と防災生活圏整備<BR> しかし、究極の『事前復興対策』とは、震災復興時の苦労と原資を集中して事前に被害軽減を実現することではないか。2003年防災都市づくり推進計画を改定し、密集市街地で6,500haの整備地域、うち2,400haを特別整備市域に指定し、防災街づくりを推進しつつある。<BR><BR>(6)間接被害の軽減と企業BCP(事前復興対策)<BR> 首都中枢機能も連続復興が重要である。とくに国家の政治・行政機能、世界経済の一翼を担う経済中枢機能は、大震災時でも「機能継続」が不可欠の部門がある。その業務継続計画(BCP)は事前復興対策でもあり、災害からの緊急復旧そして迅速な本格復興を可能とする。
著者
中林 一樹
出版者
東京都立大学都市研究センター
雑誌
総合都市研究 (ISSN:03863506)
巻号頁・発行日
no.80, pp.5-39, 2003-03
被引用文献数
3

本研究は、前稿(阪神・トルコ・台湾の比較防災学的考察と課題-活断層地震に対する防災課題及び対策計画の相対化と普遍化-: 総合都市研究第75号)に引き続き、比較防災学の視点から、1995年1月の阪神・淡路大震災、1999年8月のトルコ・マルマラ地震および1999年9月の台湾・集集地震における復旧・復興過程を整理考察するものである。とくに、住宅の再建・復興過程の分析を中心に、都市復興の進め方にも視野を広げ、その特徴と課題を比較考察している。各国・地域の社会文化的・政治的・制度的な相違は、災害に対する意識の違いとなり、それが復旧・復興対策にも大きな違いを与えている。阪神の特徴は、①住宅復旧に向けて、個別に対応した被災者が過半を占めているのであるが、当初の避難にテントは活用されず学校等に開設された避難所を多用し、その後の住宅復旧の自力対応が困難な弱者に対して応急仮設住宅を建設していること、②住宅再建では自力再建を基本としつつも借家層に対する災害復興公営住宅を大量に供給していること、③都市復興では被害が集中したのは木造密集市街地であったが、そのうち都市インフラが未整備の地域(約280ha) では土地区画整理事業や市街地再開発事業によって、都市インフラの整備を行っていること、などに集約できる。トルコ・マルマラ地震からの復興過程では、トルコの災害法による普及復興対策に特徴がある。①住宅復旧に向けて余震への恐怖から自力あるいは公的に提供されたテントが多用され、学校等を避難所としては利用していない。軍用テントも加えて、諸外国からの支援を得て建設された応急仮設住宅は、当初は持ち家層の被災者を対象としていたことも特徴的である。②住宅再建では、持ち家階層で住宅を全壊全焼した有権者を対象に、郊外に住宅団地を急速開発し、復興住宅(恒久住宅)をほとんど無料で供給したこと、③被災した市街地は街路や公園が一定程度整備されているために復興にあたっての基盤整備は不要であるが、区分所有建物が多くて合意形成が困難な状況にあるうえに、断層近辺地域では厳しい建築規制が実施されているため、現地再建が進みにくい状況がある。台湾・集集地震では、①住宅復旧に向けて、トルコと同様にテント等が多用された。応急仮設住宅は民間団体の支援としての供給が特徴的であるが、量的には少なかった。それは、家賃補助としての現金支給策を多くの被災者が希望した結果でもある。②住宅再建では、農村地域での安価な自力再建型住宅など個別の自力再建を基本としつつも、集合住宅の再建には、基金会というNGOの支援を活用した取り組みが特徴的である。③都市復興としては、トルコと同様に日本よりも市街地の基盤施設が整備されているため、一部の地域を除いて市街地整備型の復興ではないこと、断層周辺の建築制限や斜面地で再建不能の地域のために、新規開発(新社区)による復興が進められていることも特徴である。This is a comparative study on the characteristics of urban/housing recovery and reconstruction processes among the Marmara Earthquake of 1999 in Turkey, the 921 Taiwan Great Earthquake of 1999 and the Hanshin-Awaji Great Earthquake of 1995. The recovery and reconstruction processes are different from each other, which were brought in various backgrounds such as a history, social culture, economic situation, legal system for disaster recovery and reconstruction, and so on in each country. In this study, a comparison of the housing recovery and urban reconstruction among three earthquakes is highlighted. The most characteristic points of each recovery and reconstruction in Turkey are as follows; In a case of the Hanshin-Awaji Great Earthquake that occurred in winter, 1) many sufferers were evacuated in to official shelters such as schools and public buildings, not in tents. More than 49,000 units of temporary houses were supplied for approximately 30% of severe damaged houses. 2) More than 53,000 of public houses for rent are built for the poorly and the elderly who had lived in public rent houses before the earthquake, though a large number of damaged houses are rebuilt by themselves of sufferers. 3) Approximately 280 hectare of severely damaged districts are reconsturucted plannedly with the methods of land readjustment and urban redevelopment, because the condition of urban facilities such as streets and parks in these districts were very poor in spite of crowded wooden houses. 4)More than 100 condominiums which were damaged severely are rebuilt by themselves of suffered residents. They are promoted by new legal systems for renewal of condominiums and various public supports. In a case of the Marmara Earthquake in Turkey that occurred in Summer, 1) Many people who were suffered not only severely but slightly, lived in private tents and official tents both of the Red-crescent and the Military, because almost all people were afraid of aftershock and did not want to stay in slightly damaged buildings. The number of public shelter of "tent city" were prepared for more than 100,000 units. The number of private shelters of tents were unknown. The temporary houses were built by not only the national government but by the donation from foreign countries and NGOs. 2) According to Turkish Disaster Law, damaged house owners have a right to take services of temporary houses and to get a permanent house to be reconstructed by the National Government. In this earthquake, such permanent houses which are developed on the suburban hills with good condition of soil are for sale with no-interest loan in spite of high inflation of Turkish economy. It means that permanent houses are approximately "free". On the other hand, sufferers who lived rented houses have no right of permanent houses. Additionally there is no system of public houses for rent of the poorly. They can take a few of public supports for housing recovery. 3) Many parts of damaged buildings were condominiums with shops and offices of mainly 6 stories. The new regulation of building height of 3 stories or less is set in affected built-up areas of every city, because of bad soil condition for high-raised buildings. This regulation makes it impossible to be rebuilt as same scale floor as the former condominium. Therefore, a decision of rebuilding in an original site is unable to be made, though the owner of a house unit of a condominium can get a new permanent house in the suburbs. There is no case of rebuilt condominiums in the built-up areas. 4) An issue of urban reconstruction is not to widening of streets and arrangement of parks but to rebuild the damaged condominiums in built-up areas. In a case of the 921 Taiwan Great Earthquake that occurred also in summer, 1) Many tents were used as a shelter both privately and officially. Many people lived in tents temporarily, because they were also very afraid of aftershocks. More than 90% of sufferers of severely damaged houses choose a subsidy of rental fee support, but only 5% of them choose temporary houses which served by various NPOs. 2) Many of damaged houses are rebuilding by themselves, though there are several difficulties such as traditional land-owner relationships, the natives problems, jobless in villages and so on. The reconstruction of condominiums are progressing according to various supports by NGO of 921 Reconstruction Fund. Two of thirds of 178 damaged condominiums are completed or under construction for rebuilding. 3) There is new building regulation zones along the Fault, in which no-rebuilding were reconstructed. Therefore, it is necessary to develop new communities of houses for sufferers. These are "new community development plan". On the other hand, the urban reconstruction projects in each damaged district are being promoted as a "community-oriented" redevelopment and re-vitalization. Such "community-oriented" redevelopment style is learned from Japan, however there is no system for "community-oriented" nor "public participation" in Turkey.
著者
中林 一樹 高見沢 邦郎 藤原 徹
出版者
東京都立大学都市研究センター
雑誌
総合都市研究 (ISSN:03863506)
巻号頁・発行日
no.48, pp.p69-107, 1993-03
被引用文献数
1

建物の用途や形態の制限に関する用途地域・容積率規定・高度地区等いわゆる地域地区制度は、大正8年以来、わが国の市街地土地利用計画制度の根幹をなしている制度である。この地域地区は、これまでに制度的改定に加えてその具体的運用である地域での指定の見直し改定が繰り返されてきた。本研究は、1968年に現都市計画法が新訂され、1973年の全面指定替え以降1981年に続く3回目の全面見直しであった1989年指定替えの実態を、実際的改定作業を担当した東京都の各区市の担当部局へのアンケート調査から分析したものである。基本地域が4種から8種になった1973年改定の実態と比較しつつ以下の点を分析・考察した。第ーに、土地利用計画の大枠を規定する東京都の指定の方針を比較分析すると、今回の方針が「整備の促進」を前提としつつも環境保全的基調から開発・再開発促進的基調に変換していること。第二に、実態的に改定内容を分析すると、結果的には大幅な改定となっている。その内容は規制の緩和の方向への見直しが基調で、用途規制の緩和のみならず、とくに指定容積率においては平均的に区部で9.5%、市部(19市)で6.9%の増加を見ていること。第三に、改定手続きとしては、審議会の運営は1973年以降定着しているが、地元説明会の開催やそれへの市民の参加状況、陳情等住民要望の状況を見ると、形式的には実施されているといえるものの実質的な住民参加は低調であったといえよう。Japan's first land use zoning regulation system was established in 1919,when the first modern town Planning Act and Building Standard Act were promulgated. With the revision of the Town Planning Act in 1968,the number of basic types of zones in the land zoning system increased from four to eight. In 1973,all the old land use control zones were canceled and newly designated. Since then,two major revisions of zone designation have taken place,in 1981 and 1989. It is of interest how the new land use regulation zones were designated,because the zoning regulation system is the most basic method for land use management and promotion of planned land use. Also,a new zoning regulation system is being prepared,with designation of new zones to be completed in several years. In the new system,the three existing residential zones are replaced with seven new ones. The quality of Tokyo's residential environment will be determined by how these new residential zones are designated,basically by whether deregulation or regularization,such as down-zoning,is implemented. This study investigates the course and circumstances of the 1989 zoning revision in comparison with the re-designation between 1973 and 1989. It contributes to the discussion on the management policy for the new zoning regulation system and the format of re-designation. We distributed questionnaires to all local government planning departments (on the level of ku-municipal borough and shi-city). Twenty-three ku-authorities(100%) and 19 shi-authorities (70%) returned the questionnaire that dealt with zoning regulation planning,zone proportion change,zoning draft plan,new designation plan,designation procedure (such as public hearings), public opinion surveys,composition and management of committees,etc. In contrast to the 1973 regularization,the 1989 land use control policy is based on deregulation of individual building construction and redevelopment. The basic assumption is that improvement of infrastructure must be promoted through cooperation between government and the private sector,but individual construction and develpment are deregulated. The existing land use regulation was largely revised in direction of deregulation of both land use control and building bulk ratios. Expecially,the new maximum bulk ratio permits an average ratio increase of 9.5% in inner Tokyo (ku-area) and 6.9% in outer Tokyo (shi-area). Finally,not only the number of public opinions collected but also the number of participants in the public hearings is lower than in 1973. One of reasons may be that many houses in inner Tokyo need to be rebuilt or renewed,because they were built about 30 years ago and thus are superannuated today. However,it is not easy to build a desirable house because of the small size of each site. Therefore,many owners hope for a relaxation of the building and bulk ratio regulations.
著者
中林 一樹
出版者
公益社団法人 東京地学協会
雑誌
地学雑誌 (ISSN:0022135X)
巻号頁・発行日
vol.110, no.6, pp.938-949, 2001-12-25 (Released:2009-11-12)
参考文献数
8
被引用文献数
1

In the 21st Century, it has been announced that several earthquakes will occur beneath Tokyo Capital Region. The Tokyo Metropolitan Government implements two kinds of hazard assessments for countermeasures against the earthquake disasters. One is the disaster damage estimation for Tokyo and a disaster scenario for Earthquake that occurres just beneath Cental Tokyo. According to the Report published in 1997, approximately 378, 000 buildings will be burnt down, 43, 000 buildings will be demolished, 7, 200 people will be killed. A disturbance of the water supply will continue for one month and the interruption of piped gas will continue for two months, more than two million people will be evacuated to shelters located mainly in public schools. The other assessment concerns research on the vulnerability of built-up areas against earthquakes measured according to each community area. According to the area vulnerability research, the most vulnerable areas are located as a ring-zone around the CBD and as a finger-zone along Japan Railway's Chuo-line from central Tokyo to the west suburban region (Pictorial 4-1). These zones are made up wooden houses in crowded areas without city planning nor building permission.TMG learned much from the Kobe Earthquake of 1995 and has enlarged earthquake countermeasures to make Tokyo an earthquake-resistant city and to secure effective disaster countermeasures, quick recovery and reconstruction to protest the livelihood of the populace, and to ensure urban redevelopment. The most important measure is the Promotion Plan for Earthquake-resistant City Development Projects, because the implementation of such projects can reduce the damage in Tokyo (Pictorial 4-2). The Preparedness Plan for Urban Reconstruction is one of the new measures that was established after the Kobe Earthquake.
著者
河田 恵昭 岡 二三生 片田 敏孝 福和 伸夫 田村 圭子 鈴木 進吾 今村 文彦 目黒 公郎 牧 紀男 浦川 豪 中林 一樹 永松 伸吾 高橋 智幸
出版者
関西大学
雑誌
基盤研究(S)
巻号頁・発行日
2012-05-31

本研究では、逆転の発想に基づき、加害側の災害の立場から、南海トラフ巨大地震や首都直下地震によって、過酷事象が発生し、未曽有の被害をもたらすにはどのように“人間社会を攻めればよいのか”を考究して、巨大災害が起こった時の現代社会の様々な弱点を見出し、その中で被害が極端に拡大する可能性のある「最悪の被災シナリオ」被害を軽減するためには、新たに縮災を定義し、減災だけでなく、災害による被害が発生することを前提にして、すみやかに回復するという新たな概念が必要であることを示した。そして、これを実現するには、防災省を創設し、国難災害が起こるという前提に立って、日常的に準備する必要があることを明らかにした。
著者
池田 浩敬 中林 一樹
出版者
日本建築学会
雑誌
日本建築学会計画系論文集 (ISSN:13404210)
巻号頁・発行日
vol.66, no.549, pp.223-230, 2001
参考文献数
11
被引用文献数
6 1

The Hanshin-Awaji Earthquake clarified the importance of preparedness of housing recovery and urban reconstruction. This is a basic study on the construction of methods for estimation of demands for the preparedness of shelter and housing recovery measures after the next earthquake disaster. The questionnaire survey was made at main cities in Shizuoka prefecture, where the Tokai Earthquake of M.8 shall occur in the near future. The purpose of this survey is to clear the demands of shelter and housing recovery for residents after the earthquake. The results are as follows; 1)the elderly and the people of low income need a shelter much more. 2)The renters of private houses, the elderly and people of low income need not only temporary houses but also temporary stay in the public houses after a sheltering. 3)The renters need the public houses very much for a permanent housing. The estimation methods will be able to be built through these analyses, which give the parameters for estimation models.
著者
中林 一樹 池田 浩敬 饗庭 伸 市古 太郎 澤田 雅浩 薬袋 奈美子 福留 邦博 米野 史健 石川 永子 ハイリエ センギュン
出版者
首都大学東京
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2007

災害からの復興の仕方は、国や地域によって異なる。被災した地域の文化、社会経済状況、地域社会構造、法制度の特徴が反映されるからである。1999年マルマラ地震では、トルコの災害法の規定に基づき、震災復興の第1段階は、全壊した住宅と事業所を、郊外に新規開発した復興住宅団地に「移転復興」させることであった。この段階は、地震の直後から取り組まれ、2000~2004年に約43千戸の恒久住宅と約1000戸の復興個人事業所の建設・供給によって基本的に完了した。一方、被災市街地での現地復興については、安全性に配慮して、地盤条件に対応させて個別耐震基準の遵守とともに都市計画による建築階数規制がダウンゾーニングされ、建物の階数制限が強化された。被災した6~8階建の建物が、再建にあたっては2~4階建以下に制限された。それは郊外に移転復興する住宅と事業所の空間量を差し引いた被災市街地の再建空間計画であった。しかし、郊外に移転した事業所の営業はふるわず、被災市街地の中心商業地域では2階建の仮設店舗が再建され、賑わいを取り戻しだしたのが2003~2006年頃で、これが復興第2段階である。一方、これらの郊外に供給された復興住宅・事業所を獲得する権利は借家層にはないこともあって、全壊しなかった損傷程度の建物は修理して使い回されるようになっていった。本研究の成果では、上記のような復興過程に引き続き、2007-2009年を研究期間とし、第3段階の被災市街地の復興実態を明らかにした。空地が増えていた被災市街地では、商店街での現地再建が急速に進展しはじめた。主要な被災都市であるアダパザル市とデールメンデレ市の中心市街地を事例都市として、定期的な現地踏査による市街地の復興過程と街並み景観の変化をデータ化し、階高不揃いの街並み再建の実態を明らかにした。同時に、この時期にトルコの地方自治体制度が改定され、大都市自治体制度に移行し、被災市街地の復興から大都市圏整備計画としての都市開発に移行している現状を明らかにした。さらに、被災市街地での再建および新築建物の階高制限にもかかわらず、全員合意の区分所有制度は改定されず、被災建物の再建復興は、個人あるいは企業が、区分所有者の権利を買い集めることによって個人建物として再建が進んでいることを明らかにした。こうした都市復興の理解と同時に、10人の被災者への詳細なインタビュー調査を実施し、被災者の生活再建過程について都市部では復興への関わり方を通して、被災者の個々の復興過程の多様化の実態を明らかにした。