著者
高木 恵
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2010, pp.203, 2010

<B>I.はじめに</B><BR> 我が国では律令期 ,奈良の朝廷を中心とする中央政府は,地方支配のためにその拠点となるべく様々な官衙を設置した.中央政府は,全国を行政単位としての「国」に分け,その下に郡,里を置く「国郡里制」を採用した.その結果,奈良時代末の国数は68に及び,各国には中央政府の出先機関である国府 が設置された.その後,聖武天皇の「国分寺建立の詔」により国府と同数の国分寺が各国に設置されることとなった.<BR><BR><B>II.従来の研究と研究目的</B><BR> 国府,国分寺は比較的早い時期から考古学・宗教学をはじめ,各分野に於いて盛んに研究されてきたテーマの1つである.国府研究の大半が文献資料,遺物および伝来の地名などを検証したものであったが明治時代以降からは本格的な発掘調査を伴う研究へと発展した.<BR> しかし,先行研究では当時の国内の状況を知るためには材料不足ではないかと判断し,GISソフトを使用し,視覚的に検証できる可視領域を抽出することにより当時の国府・国分寺間の関係や,国内における権力の空間認識を再考察できるのではないかと考え,国分寺の塔を中心とした可視領域を抽出することにした.本発表では大宰府が直轄した西海道内の5ヶ国を取り上げ,国分寺塔からの国内可視領域に属する施設を地図上に示すことにより,統治者層の方位・距離認識を考察する糸口を探ることを目的とする.<BR><BR><B>III.国分寺塔の可視領域抽出方法</B><BR> 本発表ではGISソフトとして杉本智彦『山と風景を楽しむ地図ナビゲータ カシミール3D』を使用した.<BR> 「計算中心点」は律令期の各国内主要地域における最大高の人工建造物=国分寺塔,「中心点の標高(高度)」は石田(1962) 岩井(1982)角田(1987)等の研究を元に算出した国分寺塔第4層の高さ,「計算範囲」を国分寺塔を中心に直径15kmとした.さらに1/25,000地形図上に算出された可視領域,各地の発掘調査報告書を用い対象施設(国府・国府関連官衙・国分寺・寺社・道路・郡衙・集落)を重ねあわせた.<BR><BR><B>IV.5ヶ国の国分寺塔可視領域と対象施設分布図比較</B><BR> 従来言われていた通りに国分寺の立地場所に関しては主要道路に近接し,平野部以外では比較的高台にあり,その可視領域もある程度確保されていた.また,周囲に全く集落が存在しない場所に立地してもいなかった.しかし,各国の国分寺塔の可視領域と周辺の施設との関係では各国に違いが出た.<BR><BR><B>V.結論</B><BR> 5ヶ国の国分寺塔の可視領域とその周辺施設の分布を比較した結果,共通点と相違点が見出す事ができた.それらが西海道独自のものであるのか,単に今回の5ヶ国だけがそうであったのかを判断するためにも更に多くの国を調査する必要がある.

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