- 著者
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森 正人
- 出版者
- 公益社団法人 日本地理学会
- 雑誌
- 日本地理学会発表要旨集
- 巻号頁・発行日
- vol.2016, 2016
<br><br>1. 人間あらざるもののカリスマnonhuman charisma<br><br>生産、消費される「自然」は自明ではない。その自然を地理学として問うこととは一体どのように可能であり、意味があるのか。本発表は自然、種、セキュリティをめぐって考えることでこの問いに取り組む。<br><br> 西欧近代において自然は人間主体により手を加えられる受動的な客体と前提されてきた。この人間-自然の形而上学的に文法はポスト人間中心主義の身振りにより掘り崩される。人間あらざるものnonhumanの行為能力は人間の統べ治める近代世界、人新世anthropoceneにおいて「人間なるもの」を鋳直す。生物多様性の危機において象徴性を帯びる人間あらざるカリスマは、この世界の危機を告げ知らせる。<br><br> 日本におけるカリスマの中でも旗艦種flagship species (Lourimer 2007)としての佐渡島のトキを見てみよう。日本を象徴するとも言われるトキは1981年に野生絶滅したものの、1967年に開設されたトキ保護センターで現在も人工孵化、人工繁殖が続けられている。トキの野生絶滅は人間による乱獲に起因するものであり、その意味では人新世的なものである。しかし同時にトキの絶滅は日本的なるものの消滅を訴えかけもする。2011年、世界農業遺産への「トキと共生する佐渡の里山」の登録という出来事は、トキの国民主義化を引き立たせる一例である。空一面を覆う飛翔するトキの風景、佐渡のエコロジーにおいて人間と共生するトキは「日本的なるもの」を象徴するために、里山や棚田とアッセンブリッジされ、審美性を構成する。<br><br> トキに限らず、日本「固有」の種の絶滅に対する危機感は、生政治学と地政学を発動させる。「種」を同定し、その種の数滴把握とそれを生かすことの調整権力は、この調整される種を審美化する(フーコー2007)。したがって、審美的なもの、感性的なるものの分配をつまびらかにすることは、美しきものと生政治的なるものの関わりを暴き出すために重要となる。同時に種の場所と時間を同定し、そこからの移動も管理する力は地政学的である。この移動管理の地理は「生物多様性」という概念とそれに基づく制度によって推進されてきた。興味深いことは、専門家レベルの生物多様性の危機は人間の乱獲や開発によって引き起こされたものと認識されているのに対して、一般レベル(政治的領野)においては侵入外来種によって引き起こされていると想像されがちであることである。したがって、移動管理のセキュリティ強化が政治的アジェンダとして言説化されることになる。<br><br> この移動管理される種(固有種/外来種)は普遍的な区分でも与件でもない。外来種とは、境界づけられた空間と、それをまたぐ移動を前提する。しかし、種が移動する境界とは「自然」ではない。そもそも生物多様性が生物の多様性維持を目的とするのであれば、世界全体で種の個体数管理をする生政治学であるべきであり、国家レベルでの境界管理とは矛盾する。これらは生物多様性の維持、調整が国家によってなされるときの「翻訳」的矛盾である。<br><br> また種の固有/外来性は時間化の問題である。一体どれほど留まれば、どの世代まで遡れば種は固有になるのか。このことは種の問題ではない。振り返れば、保護されるトキは「中国産」である。しかしこの中国産トキの時間性と空間性は審美性によって覆い隠される。なぜなら、中国産のトキは遺伝的に同一であると同定されたからである。<br><br> こうした一連の問いかけは、人間も自然もともに「生き物」であることを確認させる。固有種も外来種もともに人間社会を構成する行為者であり、人間の伴侶種(ハラウェイ2013)であるはずだ。