著者
清水 邦彦
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.92, no.2, pp.107-130, 2018

<p>明治時代初期において、地蔵像等の仏像が撤去・破壊された事例が全国に散見する。本稿では、地域を絞って、地蔵像等の仏像撤去・破壊の原因を解明することを目的とする。</p><p>京都府・大阪府・滋賀県の三地域では、開化政策の一環として、路傍の地蔵像が撤去され、地蔵祭が禁止された。しかしながら、開化政策の一環であったためか、三地域いずれも明治時代中期には、地蔵像が再安置されている。</p><p>加賀藩・富山藩では、当初、粛々と神仏分離が行われた。その後、富山藩では経済政策として寺院整理が行われ、仏像が鋳つぶされた。加賀藩を引き継いだ石川県は、水源確保を目的として白山より仏像を下山させ、時に仏像は破壊された。</p><p>東京都御蔵島では、神道思想に基づき、寺が廃寺となり、地蔵像が破壊された。</p><p>明治時代初期において、地蔵像等仏像が撤去・破壊された原因として、①開化政策、②神道思想に基づく廃仏毀釈の二つがあることが判明した。</p>

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