- 著者
-
中川 康弘
- 出版者
- 言語文化教育研究学会
- 雑誌
- 言語文化教育研究
- 巻号頁・発行日
- vol.16, pp.84-95, 2018
<p>語り手の多くが日本語非母語話者である日本語教育のナラティブ研究には,語り手に対する「虫のよさ」がつきまとう。本稿では好井裕明が『語りが拓く地平』(2013)において示した「虫のよさ」を再定義し,規範を批判的に問い直す運動過程を「生成変化」としたドゥルーズ/ガタリ(2010)の『千のプラトー』を手掛かりに,留学生 1名へのインタビューから聞き手である私の「構え」の省察を試みた。それにより,語り手に対峙する日本語教育研究者に,自らの立ち位置の再考の契機を与えるナラティブの可能性を示すことを目的とした。結果,留学生の語りに表れた葛藤をかわし,「構え」に固執することで,私自身が相手から気づきを得る生成変化の機会を逸していた。ここから,日本語教育研究者が陥りやすい「虫のよさ」の問題には,語り手の葛藤や疑問に自己を投影しながら共に解決に向かう過程に,生成変化をもたらす可能性を秘めていることがわかり,そこにナラティブ研究,実践の意義が導き出された。</p>