著者
児玉 恵理
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2019, 2019

<p><b>はじめに</b></p><p></p><p>和歌山県美浜町の煙樹ヶ浜松林は、江戸時代から地域の防災資源として重要な役割を果たしている。煙樹ヶ浜松林において、松くい虫の被害が多発し、松林が枯れるといった問題が発生した。そこで、防除作業を開始したが、和歌山県美浜町内で煙樹ヶ浜松林の管理をめぐり、齟齬が生じている。そこで、本研究の目的は、煙樹ヶ浜の歴史的変遷や松林の管理状況を解明し、煙樹ヶ浜松林の保全について考察することである。</p><p></p><p> </p><p></p><p><b> </b><b>煙樹ヶ浜松林の概要</b></p><p></p><p>和歌山県美浜町は、和歌山県中部に位置しており、煙樹ヶ浜松林といった近畿最大の松林を有している。煙樹ヶ浜松林の面積は78ha、延長は4.5km、最大林幅は500mである。2018年時点では、マツの木は50,000〜60,000本ある。</p><p></p><p> </p><p></p><p><b>煙樹ヶ浜松林に関する歴史的変遷</b></p><p></p><p>1619年に初代紀州藩主の徳川頼宜により山林保護政策が実施され、地域住民が多数のマツを植林していた。1873年に「御留山」が和歌山県知事より和田村・松原村へ移管され、煙樹ヶ浜松林の土地は官有、立木は村有となる。1906年に、煙樹ヶ浜松林は潮害防備保安林に指定され、マツの伐採が禁止されている。 </p><p></p><p>1946年に松くい虫の被害が発生し、1961年に第二室戸台風により、マツの木が約3,000本倒れ、その後枯れ木が増加した。1968年から松くい虫の被害対策として、年2回の地上散布が行われ、1974年になると、空中散布と地上散布が実施された。そして、1996年まで空中散布が実施されたが、美浜町の住民たちから空中散布を行うことに対して強い反発があったという。2018年時点では、地上散布を毎年3回実施し、地上散布の実施日を町内放送等で事前に美浜町の住民へ連絡している。他にも、樹幹注入や特別伐採駆除を行い、松くい虫の被害対策が講じられている。</p><p></p><p> </p><p></p><p><b>煙樹ヶ浜松林の管理状況</b></p><p></p><p>地域住民は、松葉をかつてかまどや風呂の焚き付け用に利用していた。1950年代にガスの利用が普及するにつれて、松葉が堆積したままとなり、煙樹ヶ浜松林の生態系に変化が起きるようになった。光が差し込み風通しの良い松林にすべきという地域住民の意見により、2000年以降、松葉かきを行政と一部の住民が連携し、実施している。 美浜町では、煙樹ヶ浜松林の松落ち葉を堆肥として活用し、農産物の栽培を開始している。その農産物の「松きゅうり」等は、美浜町の地域ブランドとされている。</p><p></p><p> </p><p></p><p><b>おわりに</b></p><p></p><p>江戸時代から継承されてきた煙樹ヶ浜松林は、健康保安林および潮害防備林である。松くい虫の被害の予防として、地上散布や樹幹注入があり、行政が主体となって松林の保全・管理を行っている。また、煙樹ヶ浜松林の保全活動として、毎年行政と先駆的な地域住民グループが松葉かきを実施している。煙樹ヶ浜松林の一部は、地域住民の交流の場となっており、次世代への文化継承や地域活性化につなげている。また、美浜町では、松葉堆肥を活用した環境保全型農業が行われており、煙樹ヶ浜松林の保全は新しい局面を迎えている。</p>

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