著者
児玉 恵理
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Series A (ISSN:18834388)
巻号頁・発行日
vol.90, no.3, pp.241-256, 2017-05-01 (Released:2022-03-02)
参考文献数
35

本稿は,深谷市を事例に,各主体による深谷ねぎのブランド化への対応を踏まえて,その課題を考察することを目的とする.深谷市では深谷ねぎの産地偽装を契機として,2002年以降,行政とJAが積極的にブランド化への動きを開始した.しかし,深谷ねぎ産地において産地市場が複数存在していることなどから統一的なブランド規格を設定することが難しくなっている.市町村およびJAの合併に伴い,深谷市の北部と南部とでは自然条件や社会経済条件に違いがあることから,ねぎ生産をめぐってこれら地域間には生産者の意識に温度差が見られる.深谷市のねぎ栽培は,地形の異なる地域にまたがって存在しているために,深谷ねぎのブランド化が滞る要因になっている.深谷ねぎのブランド化は,行政と一部の産地市場による地域振興を目的とした地域ブランド化と,周年栽培とJA外出荷を行う商業的農家による個人ブランド化の二つの方向で進んでいるのが現状である.
著者
児玉 恵理
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2019, 2019

<p><b>はじめに</b></p><p></p><p>和歌山県美浜町の煙樹ヶ浜松林は、江戸時代から地域の防災資源として重要な役割を果たしている。煙樹ヶ浜松林において、松くい虫の被害が多発し、松林が枯れるといった問題が発生した。そこで、防除作業を開始したが、和歌山県美浜町内で煙樹ヶ浜松林の管理をめぐり、齟齬が生じている。そこで、本研究の目的は、煙樹ヶ浜の歴史的変遷や松林の管理状況を解明し、煙樹ヶ浜松林の保全について考察することである。</p><p></p><p> </p><p></p><p><b> </b><b>煙樹ヶ浜松林の概要</b></p><p></p><p>和歌山県美浜町は、和歌山県中部に位置しており、煙樹ヶ浜松林といった近畿最大の松林を有している。煙樹ヶ浜松林の面積は78ha、延長は4.5km、最大林幅は500mである。2018年時点では、マツの木は50,000〜60,000本ある。</p><p></p><p> </p><p></p><p><b>煙樹ヶ浜松林に関する歴史的変遷</b></p><p></p><p>1619年に初代紀州藩主の徳川頼宜により山林保護政策が実施され、地域住民が多数のマツを植林していた。1873年に「御留山」が和歌山県知事より和田村・松原村へ移管され、煙樹ヶ浜松林の土地は官有、立木は村有となる。1906年に、煙樹ヶ浜松林は潮害防備保安林に指定され、マツの伐採が禁止されている。 </p><p></p><p>1946年に松くい虫の被害が発生し、1961年に第二室戸台風により、マツの木が約3,000本倒れ、その後枯れ木が増加した。1968年から松くい虫の被害対策として、年2回の地上散布が行われ、1974年になると、空中散布と地上散布が実施された。そして、1996年まで空中散布が実施されたが、美浜町の住民たちから空中散布を行うことに対して強い反発があったという。2018年時点では、地上散布を毎年3回実施し、地上散布の実施日を町内放送等で事前に美浜町の住民へ連絡している。他にも、樹幹注入や特別伐採駆除を行い、松くい虫の被害対策が講じられている。</p><p></p><p> </p><p></p><p><b>煙樹ヶ浜松林の管理状況</b></p><p></p><p>地域住民は、松葉をかつてかまどや風呂の焚き付け用に利用していた。1950年代にガスの利用が普及するにつれて、松葉が堆積したままとなり、煙樹ヶ浜松林の生態系に変化が起きるようになった。光が差し込み風通しの良い松林にすべきという地域住民の意見により、2000年以降、松葉かきを行政と一部の住民が連携し、実施している。 美浜町では、煙樹ヶ浜松林の松落ち葉を堆肥として活用し、農産物の栽培を開始している。その農産物の「松きゅうり」等は、美浜町の地域ブランドとされている。</p><p></p><p> </p><p></p><p><b>おわりに</b></p><p></p><p>江戸時代から継承されてきた煙樹ヶ浜松林は、健康保安林および潮害防備林である。松くい虫の被害の予防として、地上散布や樹幹注入があり、行政が主体となって松林の保全・管理を行っている。また、煙樹ヶ浜松林の保全活動として、毎年行政と先駆的な地域住民グループが松葉かきを実施している。煙樹ヶ浜松林の一部は、地域住民の交流の場となっており、次世代への文化継承や地域活性化につなげている。また、美浜町では、松葉堆肥を活用した環境保全型農業が行われており、煙樹ヶ浜松林の保全は新しい局面を迎えている。</p>
著者
児玉 恵理
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2015, 2015

<b>1.はじめに</b><br><br>人口の減少や高齢化が進む中、市街化区域における都市農業への住民の評価が高まっている。市民農園では農業との触れ合いが求められ、農業ボランティアでは農家との交流を求める都市住民のニーズがある。それと同時に、都市農地の保全と都市農業の維持の機能が期待されている。埼玉県志木市では、小規模な都市農業が行われている。本研究の目的は、都市農業における生産者の役割に着目することで、持続可能な農産物供給機能の向上、担い手の育成・確保の仕組みを明らかにすることである。<br><br><b>2.志木市における都市農業の展開</b><br><br>JAあさか野によると、志木市は、もともと水稲が盛んな地域であった。稲作中心の宗岡地区では、荒川沿いの水田を中心にコシヒカリの早場米の生産を行っている。約20戸の米農家が「宗岡はるか舞」というブランド米を有機栽培し、出荷している。露地野菜中心の志木地区は、ホウレンソウ、にんじん、大根、キャベツ、里芋などの生産が盛んである。<br><br>農家の高齢化や後継者不足の問題から志木市役所が市民農園を整備し、市民が農業と関わりをもつようになっている。また、志木市役所で毎月第4土曜日に「しきの土曜市」が開催され、地元の農産物を販売する取り組みがある。<br><br><b>3.ボラバイトを活用した労働力確保</b><br><br>志木市のA農園は、ボラバイトを活用した労働者の確保をしている。ボラバイトとはボランティアとアルバイ<br><br>トの中間形態とした造語であり、今回は張り合いのあるボランティアの意味とする。ボラバイトを行う人々をボラバイターと呼び、ボラバイターは外国人実習生の代わりとなる重要な農業労働力である。<br><br>志木市のA農園は、無農薬野菜を近隣のスーパーや志木市役所で開催される「しきの土曜市」で地産地消を行い、あわせて有機野菜専門の宅配業者に出荷している。特に近隣のスーパーではA農園専用コーナーが設置されており、生産者が直接出荷・陳列することから「顔の見える」農業を自ら実践する。収穫・出荷・スーパー等での陳列を分担し、携帯電話で随時連絡を取り合うことで無駄の出ないように柔軟に農作業をしている。<br><br>家族経営だけでは、約20種類の無農薬野菜の栽培が困難になり、人手が必要になる。融通が利く都市住民をボラバイターとして農業に巻き込むことができる。A農園は、埼玉県か東京都在住で日帰りのボラバイターに手伝ってもらうことで、高品質で無農薬野菜を栽培することで農産物ブランド化を進めている。<br><br><b>4.おわりに</b><br><br>志木市は、宅地化が進む地域でありながら、行政が主体となり、生産者の販路拡大の手助けを行っている。地産地消を促すために、「しきの土曜市」という朝市や「アグリシップしき」という、年に2回開催の農産物直売所が志木市によって企画・運営されている。また、ボラバイトやシルバー人材を活用して、非農家出身者が農業に携わる機会がある。志木市における都市農業生産者は、新鮮な農産物の供給と農業体験の場の提供の役割を果たしているといえる。
著者
橋爪 孝介 児玉 恵理 落合 李愉 堀江 瑶子
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.1, 2014 (Released:2014-10-01)

本研究では、水田を利用した内水面養殖業が盛んに行われてきた長野県佐久市を取り上げ、佐久鯉に焦点を当てることで地域の内水面養殖業の変容を明らかにすることを目的とする。 現在では水田養鯉はほとんど行われなくなり、一部の自給的な生産を除き、養鯉のほとんどが内水面養殖業に特化した事業者によって担われるようになった。これらの事業者は養魚事業者、加工事業者、自給的養魚者の3つに類型化できる。事業者は佐久鯉の養殖だけでは現在経営を成り立たせることは困難であり、他の収入源を確保した上でコイの取り扱いを継続している。 厳しい経済状況でコイの取り扱いが継続されている背景として、地域に根差した鯉食文化の存在を指摘できる。佐久市では正月や慶弔時にコイを食べる習慣が維持されているほか、佐久鯉まつりの開催など地域のシンボルとして佐久鯉が活用されている。また市民団体・佐久の鯉人倶楽部による佐久鯉復権運動、食育活動、佐久鯉を活用した新商品の開発など、佐久鯉の消費拡大に向けた取り組みが行われ、地域の内水面養殖業を支えている。
著者
児玉 恵理 橋爪 孝介 落合 李愉 堀江 瑶子
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.2, 2014 (Released:2014-10-01)

長野県佐久市では水田養魚という特徴的な内水面養殖業が行われ、養殖対象魚種は主にコイであった。戦後は米の収量が重視され、コイについても大型の切鯉が好まれるようになり、水田と養殖池は次第に分離した。生産面でも米は農家、コイは養殖事業者に分化した。こうした中、フナは水田での養殖(水田養鮒)が現在も行われており、農家の副業として継続されている。本研究ではフナに着目し、水田養魚の変容を明らかにすることを目的とする。