- 著者
-
濱 貴子
- 出版者
- 日本社会学会
- 雑誌
- 社会学評論 (ISSN:00215414)
- 巻号頁・発行日
- vol.69, no.3, pp.320-337, 2018
<p>本稿では, 戦前期の大衆婦人雑誌『主婦之友』における職業婦人イメージの形成と変容を明らかにする. 『主婦之友』では, 会社や学校, 病院, 百貨店などに勤める女性が典型的な職業婦人とみなされていた. 第1期 (1917-27年) には, 女性は妻・母という天職を重視すべきで, 職業婦人は腰掛的で誘惑に陥りやすいとみなされ, 女性の就職に否定的な論調が主流であった. 就職するとしても, 男性就業者と競わない綿密さや柔和さを生かした女性の適職に就くべきで, 職場での処世が「成功」であると説かれ, 女性の職業アスピレーションは冷却されていた. 第2期 (1928-37年) に入ると, 職場における裁縫や料理などの家庭教育の実施とともに, 単純補助労働, 感情労働という職業婦人と主婦の労働の共通点をもとに実務教育により忍耐強さや感情管理能力も身につくと説かれ, 就職は花嫁準備教育として推奨されていった. そのうえで「結婚=幸せな主婦」という「成功」が説かれ, 女性の職業アスピレーションは加熱されていった. 以上の過程をへて「職業婦人」と「主婦」のイメージは接続され, 参政権などの諸権利を制限された状況下における女性のライフコース規範は構築されていった. この規範は, 職業婦人の周辺労働を娘の花嫁準備教育として正当化し, かつ, 結婚の途上にある未熟な娘としての職業婦人を引き立て役として主婦という存在の正当性を強化することに寄与するものであった.</p>