著者
楠 綾子
出版者
日本政治学会
雑誌
年報政治学 (ISSN:05494192)
巻号頁・発行日
vol.68, no.2, pp.2_226-2_247, 2017

<p>日本国内では1950年代半ごろまで, 日本の自衛力建設が進めば日米安全保障条約の相互防衛条約化と駐留米軍の撤退を米国政府に対して要請できるようになると考えられていた。相互防衛条約という形式と基地の提供は不可分ではないし, 米軍駐留と自衛力建設とのトレード・オフ関係が条約で規定されているわけでもない。にもかかわらず, 2国間の安全保障関係の態様と米軍への基地提供と再軍備がなぜ, このような関係でとらえられたのだろうか。本稿は, 1951年に調印された日米安保条約の形成過程と日本国内の批准過程に焦点を当て, 条約が法的に意味した範囲とその日本における解釈を明らかにする。北大西洋条約 (1949年7月) やANZUS条約と米比相互防衛条約 (1951年) とは異なり, 旧安保条約が基地提供に関する条項と2 国間の安全保障関係を一つの条約で規定したことと条約が暫定的な性格をもっていたことに注目し, なぜそうした方式が選択されたのか, それによって条約にどのような構造が生じ, いかなる解釈を可能としたのかを考察する。</p>

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