- 著者
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山本 聡美
- 出版者
- 日本宗教学会
- 雑誌
- 宗教研究 (ISSN:03873293)
- 巻号頁・発行日
- vol.95, no.2, pp.121-144, 2021
<p>近代的疾病観においては、病を健全な身体の対極にあるものと捉え、加療を通じて健常なる状態へ近づけることに価値が置かれる傾向にある。一方、古代・中世日本においては、これとは異なる疾病観が存在していた。特に仏教の教義や実践において、病には、人間の存在の根源に関わる現象としての重要な意味が見出されていた。病を生存への脅威として排除するのではなく、これと折り合い、場合によっては、秩序ある社会を構築する梃子として肯定的に捉えていくことさえなされた。</p><p>本稿では、平安時代末期の浄土僧、永観による「病は善知識なり」との成句に着眼する。善知識とは、仏教における発心や成道への導き手を指す。通常、多くの修行を積んだ高徳の僧を言うが、悟りに至るきっかけとなる人物や事物を広く指す言葉でもある。「粉河寺縁起絵巻」に描かれた病に発心の契機としての肯定的な意味を読みとくことからはじめ、そのような疾病観が形成された歴史的経緯を、古代日本における造像の伝統から明らかにする。</p>