著者
童門 冬二
出版者
日経BP社
雑誌
日経ベンチャ- (ISSN:02896516)
巻号頁・発行日
no.252, pp.104-107, 2005-09

慶長八(一六〇三)年に征夷大将軍になった家康は、二年後の慶長十(一六〇五)年に、その職を息子の秀忠に譲った。これは家康が、秀忠の有能ぶりを認めたからではない。 家康にしてみれば、大坂城の豊臣家に対し、 「征夷大将軍職は今後、徳川家の世襲とする。絶対に豊臣家には政権を譲らない」 ということの宣言であった。

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