著者
朱 鵬
出版者
天理大学
雑誌
天理大学学報 (ISSN:03874311)
巻号頁・発行日
vol.66, no.2, pp.41-70, 2015-02

光緒二十年(1894)は,中国にとって特別に意味のある年であった。それは,中国にとって,日清戦争の勃発によってもたらされた外部からの刺激ばかりではなく,わずか数年の間に,中国の社会文化の深層に大きな変化がおこったからである。その影響は深遠であり,例えば,光緒三十一年(1905)科挙制度の廃止によって,清朝の統治をささえる政治理念の土台が動揺し,結局,社会体制の崩壊につながっていたことは,その一つの重要な出来事である。 本稿でとりあげる「提督学政」とは,清朝の地方学務に携わる高等官僚である。科挙制度の社会基礎を維持するのに重要な役割を果たしており,学校試の統括,本試験郷試への人材推薦,及び地方学問風紀の保護など,彼らの動向は,科挙制度のバロメーターとして,そのときの社会状況を反映している。本稿の目的は,現存する提督学政の自筆史料を解読し,地域学務の実態を整理しながら,科挙試験廃止直前までの科挙制度を確認することである。この自筆史料というのは,光緒二十年貴州学政に就任した嚴修の『蟫香館使黔日記』である。そこには貴州学政を勤めた嚴修の毎日が記録され,学政の業務日記として極めて貴重である。 しかし,学政に関する研究の少ないなか,嚴修のこの日記も民国期に刊行されて以来,貴重であることを認識されながらも,ほとんど図書館の書架に収蔵されたままになってきた。すでに過去のものとなった科挙に対する関心の薄さと,史料の整理と解読に時間がかかることがその原因であろう。本稿は,『欽定大清會典則例』や『欽定学政全書』といった清朝の法令集をも対照しながら,学政の待遇や院・歳試など幾つかの点を通じて,嚴修の貴州学政業務を確認し,制度廃止直前であっても地方では,その制度が従来とかわりなく厳格に実施されていた実態を明らかにしたい。科挙の廃止と西洋的な教育の導入は,中国教育制度史上において,まさに晴天の霹靂であった。

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CiNii 論文 -  清末学政考 : 嚴修『蟫香館使黔日記』を通じて (片倉充造教授 還暦記念論集) https://t.co/0LaEMGH72M #CiNii

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