- 著者
-
市山 雅美
- 出版者
- 湘南工科大学
- 雑誌
- 湘南工科大学紀要 (ISSN:09192549)
- 巻号頁・発行日
- vol.50, no.1, pp.97-107, 2016-03
道徳教育の資料として、スポーツを題材としたものは多い。スポーツと道徳との結びつきは、すでに明治年間に見られ、旧制中学校の生徒自身もスポーツが精神の向上に資するという主張を行っていた。日清戦争後の時期は、国家を担う人物の身体の養成という観点で精神的側面は希薄であったが、日露戦争前後には、文弱・奢侈といった青年批判論に呼応し、運動の精神的な意義を主張するようになった。さらに1910年代の野球害毒論に対する反論として、野球を修養の手段として論じるものも現れた。このように、時代状況や外部からの批判に応じ、運動の精神性や道徳的意義を主張する論が生徒の側からも生まれたといえるだろう。and sports was discussed by junior highschool students in Meiji Era. The significance of sport has been discussedin association with the state and army after Sino-Japanese War. The sport was discussed as countermeasureagainst the corrupt youth before and after Russo-Japanese War. Around 1919, enthusiasm in baseball wascritisized. But some students refuted such criticism. They insist that they can improve their personarity(shuyo)by baseball.