著者
遠藤 竜馬 Endo Tatsuma エンドウ タツマ
出版者
大阪大学人間科学部社会学・人間学・人類学研究室
雑誌
年報人間科学 (ISSN:02865149)
巻号頁・発行日
no.19, pp.53-70, 1998

本稿は、モータースポーツの「草の根」たる底辺層として、一般公道で「スピードレース型の暴走行為」に興じる若者サブカルチャー─彼らは「ストリート」とも呼ばれる─に注目する。彼らの行為は明らかに違法であり、それをモータースポーツに含めること自体が問題視されかねない。しかし、彼らの実態やモータースポーツ界全体をとりまく社会的環境について知ることで、その出現には必然的といいうる面もあることが理解されよう。クルマの改造=チューニングの法規による厳しい制限と、それを反映したモータースポーツ統轄組織の政策が、結果的に彼らを公道上の危険な遊びへと追いやっているのである。さらに視野を拡げるならば、こうした事態の背景に存する、意味論的な次元の問題もまた指摘できる。「スピード」と「安全」の二項対立へと構造化されたクルマ社会の言説空間のなかで、モータースポーツとは認識地平の外部へと「排除された第三項」にほかならない。この事実に対して我々は、ストリートの若者たちの自称である「走り屋」という言葉に、モータースポーツの自立=自律性カテゴリーを打ち立てようとする政治学を見いだせる。それはH ・サックスのいう「革命的カテゴリー」なのである。