著者
フォンガロ エンリーコ
出版者
イタリア学会
雑誌
イタリア学会誌 (ISSN:03872947)
巻号頁・発行日
no.59, pp.53-70, 2009-10-17

本稿は三部から成る。第一部は、Introduzione bio-bibliograficaとし、カルロ・ミケルシュテッターの生涯と著作について、短くとも出来る限り情報量を損なわないように略述することを試みた。まず生まれ育った環境-ユダヤ系家庭、ゴリツィアの典型的な中央ヨーロッパ文化社会、ドイツ系の学校教育そして、特に後世のミケルシュテッターに非常に大きな役割を果たしたゴリツィアでの友人関係についてまとめた。次に、彼が大学時代を過ごし、著作を著し、自ら命を絶つまでの短い生涯の最後の期間を過ごしたフィレンツェでの生活について記した。最後に、死後の彼の思想の受容について、パピーニの新聞記事とジェンティーレの批判をはじめ、カピティーニのPersuasioneの解釈、カッチャーリ、マグリスなどの著作の影響で、80年代から現在まで続くミケルシュテッターの思想の再発見と再評価の概要について述べた。第二部は、Il mondo della Rettorica,la morte e la Persuasioneとし、ミケルシュテッターの思想の最も重要な概念を概説した。つまり、ショーペンハウアーとレオパルディから受けた影響がはっきりと読み取れるRettoricaの概念、そしてそれよりも難解なPersuasioneの概念である。Rettoricaの概念を用いて、ミケルシュテッターは、ブルジョワ社会とその世界観の徹底的な批判をするのみならず、「意志の形而上学」がもたらした近代ヨーロッパ文化のニヒリズムの衰退を明らかにした。さらに、ミケルシュテッターは、Persuasioneの概念を用いて、Rettoricaの世界観とは違う存在のあり方の可能性を思索したが、このPersuasioneの解釈をめぐっては現在も議論が続いている。第三部は、Tempo rettorico,tempo persuaso,tempo risvegliatoとし、ミケルシュテッターのPersuasioneの意味の問題を文化間的視点から考察した。Persuasioneの解釈の中では、カッチャーリによるルカーチの日記のイタリア語版に付した論文の中で行なったものがよく知られているが、カリオラート・フォンガロによる著書「カルロ・ミケルシュテッター:パルメニデスとヘラクレイトス.エンペドクレス(Carlo Michelstaedter:Parmenide ed Eraclito.Empedocle)」の中に収められている共著論文Figure dell'infigurabileにおいては、Persuasioneをルカーチ的なプラトニズムから脱却させ、Persuasioneの創造性と有限性という観点から説明がなされた。本稿では、カリオラート・フォンガロによるPersuasioneの解釈をさらに、非ヨーロッパ的な視点から分析し、新しい解釈を試みた。それに際して、友人のムロイレ(Enrico Mreule)がミケルシュテッターの死後、新聞記事においてミケルシュテッターを「ヨーロッパの釈尊」と評したことを手がかりとした。ミケルシュテッターのRettoricaとPersuasioneの背景にある時間性の分析を行なったうえで、ミケルシュテッターの「有の完全無欠」としてのPersuasioneの瞬間を、東洋的な無の概念と密接に結びついた西田幾多郎の瞬間と比較した。無の自己限定として現在と瞬間をとらえる西田の思考を参照することにより、ミケルシュテッターのPersuasioneは、西洋的な有、つまり、ギリシャのパルメニデス的な「現前性としての有」の概念から派生するという結論が導き出された。このように、ミケルシュテッターのPersuasioneの概念は西洋的形而上学の極限にあるものであるが、同時にそれを越え、形而上学からの出口を示しているものと思われる。ここに示されたように、ヨーロッパの思想の他の文化、特に仏教的文化との出会いは、実りある文化間的対話・思想の「場所」を示すものである。
著者
フォンガロ エンリーコ
出版者
イタリア学会
雑誌
イタリア学会誌 (ISSN:03872947)
巻号頁・発行日
vol.59, pp.53-70, 2009-10-17 (Released:2017-04-05)

本稿は三部から成る。第一部は、Introduzione bio-bibliograficaとし、カルロ・ミケルシュテッターの生涯と著作について、短くとも出来る限り情報量を損なわないように略述することを試みた。まず生まれ育った環境-ユダヤ系家庭、ゴリツィアの典型的な中央ヨーロッパ文化社会、ドイツ系の学校教育そして、特に後世のミケルシュテッターに非常に大きな役割を果たしたゴリツィアでの友人関係についてまとめた。次に、彼が大学時代を過ごし、著作を著し、自ら命を絶つまでの短い生涯の最後の期間を過ごしたフィレンツェでの生活について記した。最後に、死後の彼の思想の受容について、パピーニの新聞記事とジェンティーレの批判をはじめ、カピティーニのPersuasioneの解釈、カッチャーリ、マグリスなどの著作の影響で、80年代から現在まで続くミケルシュテッターの思想の再発見と再評価の概要について述べた。第二部は、Il mondo della Rettorica,la morte e la Persuasioneとし、ミケルシュテッターの思想の最も重要な概念を概説した。つまり、ショーペンハウアーとレオパルディから受けた影響がはっきりと読み取れるRettoricaの概念、そしてそれよりも難解なPersuasioneの概念である。Rettoricaの概念を用いて、ミケルシュテッターは、ブルジョワ社会とその世界観の徹底的な批判をするのみならず、「意志の形而上学」がもたらした近代ヨーロッパ文化のニヒリズムの衰退を明らかにした。さらに、ミケルシュテッターは、Persuasioneの概念を用いて、Rettoricaの世界観とは違う存在のあり方の可能性を思索したが、このPersuasioneの解釈をめぐっては現在も議論が続いている。第三部は、Tempo rettorico,tempo persuaso,tempo risvegliatoとし、ミケルシュテッターのPersuasioneの意味の問題を文化間的視点から考察した。Persuasioneの解釈の中では、カッチャーリによるルカーチの日記のイタリア語版に付した論文の中で行なったものがよく知られているが、カリオラート・フォンガロによる著書「カルロ・ミケルシュテッター:パルメニデスとヘラクレイトス.エンペドクレス(Carlo Michelstaedter:Parmenide ed Eraclito.Empedocle)」の中に収められている共著論文Figure dell'infigurabileにおいては、Persuasioneをルカーチ的なプラトニズムから脱却させ、Persuasioneの創造性と有限性という観点から説明がなされた。本稿では、カリオラート・フォンガロによるPersuasioneの解釈をさらに、非ヨーロッパ的な視点から分析し、新しい解釈を試みた。それに際して、友人のムロイレ(Enrico Mreule)がミケルシュテッターの死後、新聞記事においてミケルシュテッターを「ヨーロッパの釈尊」と評したことを手がかりとした。ミケルシュテッターのRettoricaとPersuasioneの背景にある時間性の分析を行なったうえで、ミケルシュテッターの「有の完全無欠」としてのPersuasioneの瞬間を、東洋的な無の概念と密接に結びついた西田幾多郎の瞬間と比較した。無の自己限定として現在と瞬間をとらえる西田の思考を参照することにより、ミケルシュテッターのPersuasioneは、西洋的な有、つまり、ギリシャのパルメニデス的な「現前性としての有」の概念から派生するという結論が導き出された。このように、ミケルシュテッターのPersuasioneの概念は西洋的形而上学の極限にあるものであるが、同時にそれを越え、形而上学からの出口を示しているものと思われる。ここに示されたように、ヨーロッパの思想の他の文化、特に仏教的文化との出会いは、実りある文化間的対話・思想の「場所」を示すものである。