著者
マーハ ジョン C.
出版者
国際基督教大学
雑誌
国際基督教大学学報. I-A, 教育研究 = Educational Studies (ISSN:04523318)
巻号頁・発行日
no.46, pp.173-185, 2004-03-31

ピジンとは多言語が存在する状況の中で新たに発生した言語であり,固有の特徴をもち,かつ体系だったシステムを持っている。ピジン・クレオールの研究は,異なる言語を持った人間が互いに接触する際に,言語はどのような形で存在するかという問題に関連している。日本は多数の言語が存在する地域であるため,様々なピジンも存在する。しかしこれまで詳細に言語学的に研究されたピジンは少ない。そこで本論では,多言語的環境である日本の中で,ピジンは新旧の歴史をもつ言語現象であることを述べる。言語どうしの接触は大陸から人間が日本本土に移動してきた縄文-弥生期に始まった。これは大陸からのアルタイ語族(弥生人)とマレー・ポリネシア語族(縄文人)の接触である。「港ピジン」は16世紀に九州で発生して以来今に至っており,日本語とスベイン語のピジンである「長崎ピジン」はその例である。沖縄にも日本語と琉球語のピジンが存在する。1980年代以降は,都市で働く外国人労働者の間で「Gastarbeiter(外国人労働者・出稼ぎ)ピジン」が発達した。このような言語接触のなかには,琉球語と日本語の接触のような言語どうしの接触の例もあれば,同言語の亜種どうしの接触(例えば方言間接触)もある。より「軍事基地ピジン」は世界中で見られるもので,日本にも「浜松ピジン」などの例がそれにあたる。小笠原諸島は歴史的にも長く英語のコミュニティがあるが,ここではミクロネシア語,ポリネシア語,日本語,英語の言語接触が19世紀から始まった結果ピジンが形成された。本論は日本におけるピジン・クレオールの歴史の概略であるため,日本語と日本語手話などのピジンについては述べられていない。しかしこの歴史を見るだけでも,日本が多言語的環境にあることは明らかである。
著者
マーハ ジョン C
出版者
国際基督教大学
雑誌
国際基督教大学学報. I-A, 教育研究 (ISSN:04523318)
巻号頁・発行日
vol.44, pp.189-202, 2002-03

童謡(nursery rhymes:ナースリーライム)とは子供向けの短い詩歌のことで,通常,一つのストーリーを示すものである.童謡は,反復や言葉遊びを使ったり,風刺的だったり,特に意味のない音を使うなどの特徴をもつ,確立した言語類型である.文体的には,子守唄,指や手を使った遊び歌,なぞなぞ,数え歌や何かを覚えるための歌,早口言葉,言葉を重ねていく歌など,異なった種類の文体が存在する.音声構成についても,童謡ならではの特徴があり,例えば,形容詞はほとんど使われず動詞が多く用いられたり,強弱格や跳ねるようなリズムを持ったりする.子守唄には,わざと子供には発音しにくい音を用いたりするなど音声学上の「トリック」も使われている.童謡はまた,親と子供の会話も促す.童謡の歌詞には,パラドックスがあったり意味的に矛盾していたりするものもある.そしてさらに,例えば「牛が月を飛びこえた」など,通常の観念で理解できる「言葉と世界」とのつながりでは成立しないような,ぶつかり合いを含んだ言葉の世界観へ子供達を誘うのである.また,童謡は,様々な差異や同一性を含み,これによって,子供は,時間,場所,社会関係などの構造を理解していく.童謡の世界では,「なにか言う価値のある事を言うために発話する」という通常の言語行動の前提は成立しない.一つの世代から次の世代への電報ともいえる童謡は,独特の子供の文化を産み出すための言語や伝承的知識を含むものである.口頭伝承の童謡がもつ一つの重要な要素は,それがしばしばすでに絶滅してしまった言語の残存例を含んでいるということである.(例えば南アフリカのKukasiなど).童謡には方言の違いが反映されていることもある.また「子守り」文化の中には,童謡の形を借りて,辛いしかしユーモラスな部分も含んだ,あざけりに近い歌が歌われることがあるが,これは,社会批判を含む一つのディスコースである.すなわち,童謡が文盲や社会的弱者にとっての抵抗の武器となるのである.本論では英語,日本語,アイヌ語,フランス語,そしてドイツ語の童謡を例にとり,童謡は社会言語学的に研究されるべき,独立した言語の一類型であることを論ずる.
著者
マーハ ジョン C.
出版者
国際基督教大学
雑誌
国際基督教大学学報. I-A 教育研究 = Educational Studies (ISSN:04523318)
巻号頁・発行日
vol.53, pp.117-123, 2011-03-31

あだ名とは、個人に属する名前の代わりとして、もしくは、個人の名前に付け加える形で、個人を特定する参照表現である。それは新しい分類化である。名前を作り出す方法が存在する。あだ名は語彙を増やす。あだ名とは、他人の先入観や、性的、人種的ステレオタオプや、集団の規範の強化などを明らかにする。あだ名とは、社会管理の一つの形である。あだ名は、同族意識と集団の連帯感覚、つまり団結心を強めることができる。あだ名はしばしば、社会的、言語的な行動に影響を与える。個人は、あだ名を持つことにより、自分の行動の特徴や、話すアクセントや体型や日常の習慣を変えようとすることがある。同じ集団にいる人々を特定し、明確にすることもできる。あだ名をつけることは、こども時代に、そして学校において、広く普及している。男性は女性より、あだ名をつけられたり使ったりすることが多い。男性のあだ名は、強さや大きいことという意味を含むことが多い。たとえば、野球の松井秀喜選手をゴジラを呼ぶといったものである。女性のあだ名は、軽蔑的あだ名であるよりは、愛情のこもったものであることが多く、身体的・個人的特徴 (美しさ、親切)を示す傾向がある。学校の教師にあだ名を付ける慣行は広く普及している。教師は、教員としてのステレオタイプなイメージを自ら投影する。この教室でのペルソナは、子どもたちから教師を守り、また教師のプライベートな生活を守る防御手段となる。一般には親しさや、あるいは不満や軽蔑を表明するために使われる名付けの工夫を生徒がこっそりと使うことは、おそらくは強力な人物の地位を対処できる程度にまで矮小化する方法である。こういう形で、生徒であることからくる無力感が和らげられるのである。ここで使用するデータは、2008年から2010年における東京西部のある中学校の2.3年生のものである。
著者
マーハ ジョン C. John C. MAHER
雑誌
国際基督教大学学報. I-A, 教育研究 = Educational Studies
巻号頁・発行日
no.46, pp.173-185, 2004-03-31

ピジンとは多言語が存在する状況の中で新たに発生した言語であり,固有の特徴をもち,かつ体系だったシステムを持っている。ピジン・クレオールの研究は,異なる言語を持った人間が互いに接触する際に,言語はどのような形で存在するかという問題に関連している。日本は多数の言語が存在する地域であるため,様々なピジンも存在する。しかしこれまで詳細に言語学的に研究されたピジンは少ない。そこで本論では,多言語的環境である日本の中で,ピジンは新旧の歴史をもつ言語現象であることを述べる。言語どうしの接触は大陸から人間が日本本土に移動してきた縄文-弥生期に始まった。これは大陸からのアルタイ語族(弥生人)とマレー・ポリネシア語族(縄文人)の接触である。「港ピジン」は16世紀に九州で発生して以来今に至っており,日本語とスベイン語のピジンである「長崎ピジン」はその例である。沖縄にも日本語と琉球語のピジンが存在する。1980年代以降は,都市で働く外国人労働者の間で「Gastarbeiter(外国人労働者・出稼ぎ)ピジン」が発達した。このような言語接触のなかには,琉球語と日本語の接触のような言語どうしの接触の例もあれば,同言語の亜種どうしの接触(例えば方言間接触)もある。より「軍事基地ピジン」は世界中で見られるもので,日本にも「浜松ピジン」などの例がそれにあたる。小笠原諸島は歴史的にも長く英語のコミュニティがあるが,ここではミクロネシア語,ポリネシア語,日本語,英語の言語接触が19世紀から始まった結果ピジンが形成された。本論は日本におけるピジン・クレオールの歴史の概略であるため,日本語と日本語手話などのピジンについては述べられていない。しかしこの歴史を見るだけでも,日本が多言語的環境にあることは明らかである。
著者
マーハ ジョン C John C. Maher
雑誌
国際基督教大学学報. I-A, 教育研究 = Educational Studies
巻号頁・発行日
vol.44, pp.189-202, 2002-03-31

童謡(nursery rhymes:ナースリーライム)とは子供向けの短い詩歌のことで,通常,一つのストーリーを示すものである.童謡は,反復や言葉遊びを使ったり,風刺的だったり,特に意味のない音を使うなどの特徴をもつ,確立した言語類型である.文体的には,子守唄,指や手を使った遊び歌,なぞなぞ,数え歌や何かを覚えるための歌,早口言葉,言葉を重ねていく歌など,異なった種類の文体が存在する.音声構成についても,童謡ならではの特徴があり,例えば,形容詞はほとんど使われず動詞が多く用いられたり,強弱格や跳ねるようなリズムを持ったりする.子守唄には,わざと子供には発音しにくい音を用いたりするなど音声学上の「トリック」も使われている.童謡はまた,親と子供の会話も促す.童謡の歌詞には,パラドックスがあったり意味的に矛盾していたりするものもある.そしてさらに,例えば「牛が月を飛びこえた」など,通常の観念で理解できる「言葉と世界」とのつながりでは成立しないような,ぶつかり合いを含んだ言葉の世界観へ子供達を誘うのである.また,童謡は,様々な差異や同一性を含み,これによって,子供は,時間,場所,社会関係などの構造を理解していく.童謡の世界では,「なにか言う価値のある事を言うために発話する」という通常の言語行動の前提は成立しない.一つの世代から次の世代への電報ともいえる童謡は,独特の子供の文化を産み出すための言語や伝承的知識を含むものである.口頭伝承の童謡がもつ一つの重要な要素は,それがしばしばすでに絶滅してしまった言語の残存例を含んでいるということである.(例えば南アフリカのKukasiなど).童謡には方言の違いが反映されていることもある.また「子守り」文化の中には,童謡の形を借りて,辛いしかしユーモラスな部分も含んだ,あざけりに近い歌が歌われることがあるが,これは,社会批判を含む一つのディスコースである.すなわち,童謡が文盲や社会的弱者にとっての抵抗の武器となるのである.本論では英語,日本語,アイヌ語,フランス語,そしてドイツ語の童謡を例にとり,童謡は社会言語学的に研究されるべき,独立した言語の一類型であることを論ずる.