著者
リー ボントン
出版者
The Human Geographical Society of Japan
雑誌
人文地理 (ISSN:00187216)
巻号頁・発行日
vol.60, no.6, pp.482-500, 2008 (Released:2018-01-06)
参考文献数
108

マレーシアにおける人文地理学は,クアラルンプールにあるマラヤ大学において,1959年に始まった。教室の外国人地理学者とマレーシア人研究者からなる初期のパイオニア達は協力しあい,教室は1970年代から80年代を経て90年代にかけて,絶頂期を迎えた。その後,英語を使用しない教員の採用や年長の人文地理学者の退職と代替雇用の政策的な遅延,それから教室規模の縮小などがあったために,少数の人文地理学者の研究活動は盛んであるが,以前ほどの隆盛はない。マレーシア国民大学(UKM)とマレーシア科学大学(USM)の2つの地理学教室は,総合的で学際的なプローチを採用したので,人文地理学の役割と機能は,むしろ限られたものとなった。例えば,UKMでは人文地理学のコースが他の学問分野と再統合され,地理学科は学科の中の1つのプログラムに変更されてしまった。このような多分野の統合は,USMの人文地理学の研究と出版活動も変質させた。マレー語による論文公表の拡大は,人文地理学者が世界の人文地理学者集団に参加したり,あるいは突出することを制限するように作用した。その他のマレーシアの大学では,人文地理学は人文および社会科学の中で重要な役割は果たしていない。最後に,高等教育機関における地理学専攻の学生数の減少は大きな課題であり,中等教育機関で地理学が必修化されなければ,人文地理学が持つ本来の価値とその貢献度が,充分に実現することはないだろう。