著者
ロバート ヒックリング
出版者
文化女子大学
雑誌
文化女子大学紀要. 人文・社会科学研究 (ISSN:09197796)
巻号頁・発行日
no.6, pp.43-52, 1998-01-01

二言語を併用する子供の親は, 生後まもなく, 彼らの子供が二言語体験することに消極的である。なぜならば二言語を併用する子供は, 単一言語を使う子供と比べて自然に言語習得できないかもしれないと懸念するからである。 更に二言語を併用する子供は, どちらの言語においてもネイティブスピーカーのレベルに熟達できないかもしれないと心配することである。この考えは, 一般にセミリンガリズムと呼ばれている。このセミリンガリズムについて1927年にブルームフィールドは北米のインディアンの言語における分析において以下のように記述している。およそ40歳の北米インデアン, ホワイト サンダーは英語より彼のインデアンの言語であるメノミニをより多く話すが, そのメノミニですら語彙が乏しく, 文法的規則性がなく, なおかつ, 彼は単純な文章でしか会話ができないというお粗末なものである。つまり彼はまともに言葉を話せないというのである。この例におけるセミリンガリズムへの影響という点で, 言語学者逮は少なくとも一つの言語においてネイティブレベルの言語能力を確実なものにするには, 第二言語を経験させる以前に, しっかりした第一言語の能力を習得しなければならないと忠告する。これに対して, この論文は二言語を同時に体験することが, 子供の言語習得にマイナスな影響を及ぼすことはなく, 二言語を同時に使う子供の養育は, それ自体がセミリンガリズムの原因にならないということを説いている。むしろセミリンガリズムの原因は経済的, 政治的, 社会的条件によるものであると論じ, 二言語体験が遅ければ, 遅いほど子供の第二言語における言語熟達の可能性は低くなるかもしれないと説明している。