著者
三浦,耕吉郎
出版者
環境社会学会
雑誌
環境社会学研究
巻号頁・発行日
no.20, 2014-12-10

日本の原子力政策の渦中で産声をあげ,東京電力福島第一原子力発電所の過酷事故以降も,その多義性と曖昧性を武器に「原発の安全神話」や「放射線安全論」を人びとの心のなかに浸透させていく役割を担ってきた「風評被害」という言葉。本稿では,「風評被害」という名づけの行為に着目しつつ,現代日本社会におけるこの語にまつわる複数の異なる用法を批判的に分析し,その政治的社会的効果を明らかにする。第1には,「風評被害」という用語が,(1)生産者側の被害のみに焦点をあて,消費者側の被害や理性的なリスク回避行動をみえなくさせている点,及び(2)安全基準をめぐるポリティクスの存在やそのプロセスをみえなくさせている点である。第2には,「放射能より風評被害の方が怖い」という表現に象徴される,健康被害よりも経済的被害を重視する転倒が原子力損害賠償紛争審査会の方針にも見出され,本来の「(原発事故による)直接的な被害」が「風評被害」と名づけられることによって,放射線被曝による健康被害の過小評価や,事故による加害責任の他者への転嫁がなされている点。第3には,「汚染や被害の強調は福島県への差別を助長する」という風評被害による差別への批判が,反対に,甲状腺がんの多発という事実を隠蔽することによって甲状腺がんの患者への差別を引き起こしている,という構造的差別の存在を指摘する。