著者
三瀬 利之
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集 (ISSN:21897964)
巻号頁・発行日
vol.2009, pp.6-6, 2009

現代人類学史では、マリノフスキイによって確立されたフィールドワークの先駆的な形態は、1900年前後のケンブリッジ大学系の一連の探検調査にあるとされてきた。しかし本発表では、「パンジャーブ学派」と形容される植民地インドのスーパーエリート官僚に注目し、彼らの「科学的行政」の一環として行われた1870年代の社会調査にこそ、近代的なフィールドワークの最初の実験的な試みがあったという可能性を検証する。
著者
三瀬 利之
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族學研究 (ISSN:00215023)
巻号頁・発行日
vol.64, no.4, pp.474-491, 2000-03-30

19世紀西欧の物質文化の大きな変化, それは膨大な数の統計表が作成され, 「印刷された数字の氾濫」が起きたことであった。様々な領域で革命的波紋をもたらすことになるこの変化は, 「国家の構成要素を数量的に把握することが合理的統治の基礎」とする新たな国家統治の思想と技術誕生の産物でもあった。これまでの人類学史では19世紀の一大事件であったこの統計の熱狂的な作成と人類学の積極的な関係が議論されることはなかった。しかし植民地期インドでは, 例えば, 人類学者として名をなしていた人物の多くがインド帝国センサスの長官職の経験がある行政官であるなど, 両者の間に緊密な関係があった時期があった。本稿では, その陰の立て役者ともいうべき一人の行政官ハーバート・リズレイ(1851-1911)に注目し, なかでも彼の「ベンガル民族誌調査」(1885-7)を, センサスという<統治技術>から<人類学>への重要な結節点にあるものとして詳細に検討する。本稿は, そこでのリズレイの活動およびその後の彼の軌跡を紹介することを通じて, 19世紀の一大事件「印刷された数字の氾濫」がインド亜大陸の人類学に何をもたらしたのかを明らかにする。具体的には, 「ベンガル民族誌調査」の開始と帝国センサスの関係, パリ人類学会の「身体測定技法」のインド人類学における導入過程, 人口センサスと植民地人類学の調査システムの共有といった事例が扱われる。