著者
中広 全延
出版者
夙川学院短期大学
雑誌
夙川学院短期大学研究紀要 (ISSN:02853744)
巻号頁・発行日
vol.37, pp.1-14, 2008-07

指揮者ヘルベルト・フォン・カラヤン(Herbertvon Karajan)において、自己愛の病理を指摘できる。オーケストラを排除した後、録音したテープを編集してミスのない完璧な演奏のレコードを作るように、カラヤンは伝記作成において、具合の悪い事実はカットし都合のよいものだけを集めてきて、自己の生涯を編集して完璧な作品にしようと試みた。批判や挫折に対して異常に傷つきやすいカラヤンは、批判や挫折に直面すると自分を攻撃し妨害する集団を想定することがあったが、それは彼の被害妄想とせざるを得ないのではないか。世界が敵意に満ち自分を攻撃してくる存在でいっぱいであると恐れていたカラヤンにとって、日本は元ナチス党員として弾劾されることもなくいつ来ても大歓迎してくれる友好国であった。日本という視点からカラヤンの病理は見えない、日本という他者との関係においてそれは現れない、ということになるかもしれない。
著者
中広 全延
出版者
学校法人 夙川学院 夙川学院短期大学
雑誌
夙川学院短期大学研究紀要 (ISSN:02853744)
巻号頁・発行日
vol.37, pp.1-14, 2008 (Released:2019-12-24)
参考文献数
24

指揮者ヘルベルト・フォン・カラヤン(Herbertvon Karajan)において、自己愛の病理を指摘できる。オーケストラを排除した後、録音したテープを編集してミスのない完璧な演奏のレコードを作るように、カラヤンは伝記作成において、具合の悪い事実はカットし都合のよいものだけを集めてきて、自己の生涯を編集して完璧な作品にしようと試みた。批判や挫折に対して異常に傷つきやすいカラヤンは、批判や挫折に直面すると自分を攻撃し妨害する集団を想定することがあったが、それは彼の被害妄想とせざるを得ないのではないか。世界が敵意に満ち自分を攻撃してくる存在でいっぱいであると恐れていたカラヤンにとって、日本は元ナチス党員として弾劾されることもなくいつ来ても大歓迎してくれる友好国であった。日本という視点からカラヤンの病理は見えない、日本という他者との関係においてそれは現れない、ということになるかもしれない。
著者
中広 全延
出版者
日本病跡学会
雑誌
日本病跡学雑誌 (ISSN:02858398)
巻号頁・発行日
no.70, pp.60-69, 2005
著者
中広 全延
出版者
夙川学院短期大学
雑誌
夙川学院短期大学研究紀要 (ISSN:02853744)
巻号頁・発行日
vol.25, pp.23-33, 2001-03-10

セルジュ・チェリビダッケは、1912年ルーマニアで生まれ、1996年パリの自宅で死去した。20才を過ぎてから初めてベルリンにやって来てドイツ語を習得した。音楽技術上の才能には非常に恵まれていたが、ベートーヴェンやブラームスなどドイツ音楽の伝統的演奏様式には無縁の環境で育ち、またそれを身につけていなかった。彼が好んだレパートリーは、フランス印象派やロシア音楽であり、特にラヴェルは最も得意なものであった。チェリビダッケはルーマニア人であり、ドイツでは人種と国籍において異邦人であったのと同様に、ドイツ音楽の世界では異邦人であった。そして、カラヤン=ベルリン・フィルを中心とする戦後のクラシック音楽界においても異邦人であった。チェリビダッケは、生涯にわたって青年の心性を保ち続けた孤独な理想主義者であった。彼はどんなオーケストラとも安定した関係を築かず遍歴を続け彷徨した永遠の青年であった。
著者
中広 全延
出版者
夙川学院短期大学
雑誌
夙川学院短期大学研究紀要 (ISSN:02853744)
巻号頁・発行日
vol.26, pp.51-63, 2002-03-25

セルジュ・チェリビダッケとカルロス・クライバーは、完全主義者である点が共通しているが、異なる点も多い。ここでは、両者を対比し差異を抽出して、彼らの病跡学的考察を前進させることを試みる。チェリビダッケは、完全主義ゆえに通常をはるかに超える練習量をオーケストラに要求した。さらに、彼が練習狂になった心理的側面として、自我における自信の欠乏も考えられる。その自信の欠乏による不全感は、彼に攻撃性を発動させた。それは、発揮方法も対象も平明であり、直接的な陽性の攻撃といえる。クライバーは、しばしば公演を正当な理由なくキャンセルする。彼のキャンセル癖は、完全主義に起因する退避行動と理解できる。キャンセルして、周囲の期待を裏切り失望させることが、彼の攻撃衝動を満足させると解釈される。この間接的な陰性の攻撃の標的は、常にクライバーの内面に影を落としている大指揮者であった父エーリヒではないかと思われる。また、自分がキャンセルしたことを無視するかのごとくであるのは、否認の心理が働いているためと考えられる。