著者
中村 麻由子
出版者
日本教育方法学会
雑誌
教育方法学研究 (ISSN:03859746)
巻号頁・発行日
vol.37, pp.13-23, 2012-03-31 (Released:2017-04-22)
被引用文献数
1

本稿は,教師のまなざしを科学主義・技術主義に対抗する人間的・芸術的・倫理的な力量として捉えることを中心とした従来の理論枠組みを越えて,それがもつ文化的・政治的実践の媒介としての意味を捉え直す理論枠組みを提起している。そのために,まなざしの媒介作用,権力作用,脱構築という三つの基本概念を提出する。人間は,周囲から向けられたまなざしを内面化し,それを媒介にして状況や他者や自己自身を見つめ直す側面をもつ。こうした媒介作用に着目するとき,「正常-異常」とか「有能-無能」に関する「基準」の内面化による権力作用や,個別局所的な場におけるまなざしの問い直しや編み直しという脱構築の意味が重要なものとして浮かび上がってくる。新自由主義的な制度と言説が広がり,「欠損言説」と「個体能力観」が教育行政やメディアはもとより保護者や子どもにまで浸透してゆく現在,教師のまなざしはどのような文化的・政治的実践の媒介としての意味をもちうるのか。ここでは,教師のまなざしに関する従来のアプローチの意義と限界を指摘した後,「欠損言説」と向かい合うナラティヴ・セラピーの理論と「個体能力観」と向かい合うクリティカル・ペダゴジーの理論の検討を踏まえた上で,個体還元的,尺度準拠的,欠陥検出的,技術主義的なまなざしが浸透する状況のただなかで,教師のまなざしが果たしている文化的・政治的実践の媒介としての意味を明らかにしている。