著者
中江 桂子
出版者
日本スポーツ社会学会
雑誌
スポーツ社会学研究 (ISSN:09192751)
巻号頁・発行日
vol.14, pp.47-58,120, 2006-03-20 (Released:2011-05-30)
参考文献数
29

本稿では、スポーツの発生に関するエリアスの文化社会学的分析のなかでは、論じられていない中世のスポーツ、馬上試合 (tournament) について考察する。近代イギリスで発明されたとされるスポーツおよびスポーツマンシップの文化的源流は、このスポーツの中で醸成された。馬上試合は、中世封建社会においては特別な社会的関心を集める唯のスポーツであり、その試合の変容は、騎士道的倫理の成熟および、騎士にたいして暴力の制御を強制するメカニズムを作り出した過程と合致する。本稿ではこの過程を社会史的に考察する。命にたいする配慮、私欲の放棄と公共への奉仕、弱者の保護などを特徴とする倫理的世界は、中世封建社会の現実を改革する影響力はさほど持たなかったことは認めなければならない。しかしそれは、宮廷風恋愛という特殊な恋愛の形態を生み、さらに騎士物語と馬上試合の大流行によって、ヨーロッパ文化のなかに深く刻まれ、中世が終焉した後にまでヨーロッパ的精神のなかに生き続ける。そしてイギリスジェントルマン階層が、そのアイデンティティを確認する必要に迫られた近代イギリスの特殊な政治文化的状況の中にあったとき、馬上試合の中でかつて夢見られた倫理的世界は、近代的な時代に合わせたかたちで再発見され、再構築されることになる。結論として、スポーツマンシップが特殊ヨーロッパ的なものであることが明らかになる。スポーツマンシップが決して普遍的な理念ではないので、多様な文化的背景をもつ身体文化が、安易にスポーツマンシップの倫理を援用することにたいしては警戒する必要があることを示す。
著者
中江 桂子
出版者
日本スポーツ社会学会
雑誌
スポーツ社会学研究 (ISSN:09192751)
巻号頁・発行日
vol.21, no.2, pp.15-30, 2013-09-30 (Released:2016-08-01)
参考文献数
27

本稿の目的は、身体とスポーツがどのような近代的陥穽に陥ったか、という問題について、前近代的な視点を用いて近代を逆照射することにより、明らかにすることである。 そこで本稿では第一に、西欧文化史の個性をいち早く作り上げたギリシャ・ローマ時代まで遡り、身体と学びの原初形態について概観した。そこでは、美しさに恍惚となるエロス的な関係性のなかに、教育的機能を含ませ、世界への知を深める営みとしての学びがあった。第二に、封建社会とキリスト教が独特の結びつきを見せた中世の騎士道において、試練や苦痛を乗り越えてこそ、その先にロマンスや幸福を獲得できるはずだという考え方が一般化していく。教育とは、苦難を乗り越えることであるという考え方の萌芽がここにある。第三に、社会的義務をみずから欲望することこそ美しい道徳であるという態度は、中世から近代へと引き継がれた。公権力によって私的なものである身体を矯正していくことに躊躇しない近代の成立の経緯を論じた。第四に、騎士の階級文化であった世界を、普遍的で理想的な身体文化として再定義してしまったのが近代であったことを示した。この結果、内発性は創出されなければならないという近代教育の核心が生まれた。そして競技は、不平等のなかに相互尊敬をつくりだすものから、平等の中に勝負によってヒエラルキーをつくりだすものへと、近代において転化したことを概観した。 以上の議論を通じて、近代以降のスポーツと教育が抱える問題点は、近代以前にルーツがあることが多く、これを解決するには、射程の長い歴史的視点が必要であることを主張した。