著者
中野 静菜 玉利 光太郎
出版者
公益社団法人 日本理学療法士協会
雑誌
理学療法学Supplement
巻号頁・発行日
vol.2011, pp.Ab1312, 2012

【はじめに、目的】 近年の登山ブームで、幅広い世代の登山人口が増加している。しかし高所という低酸素環境は、生体にとってハイリスクであり、低酸素環境へいかに対応できるかが高山病などの急性症状の発症を軽減させる鍵となる。急性高山病とは、高所に到達した後6~9時間から72時間までの間に発症し、頭痛(必発)・倦怠などの症状を呈するものをいう。先行研究ではSpO<sub>2</sub>、性差、心拍数、呼吸法などの生体内因子と高山病発生との関係に着目し、リスク管理につなげることを提唱している。しかし、生体外因子、とくに登山で用いられるリュックサックが生体にどのような影響を与えるのかについてはよく分かっていない。本研究では、異なる形状のリュックサックが、換気応答、姿勢、自覚的運動強度にどのような影響を与えるのかについて検証した。【方法】 対象は、健常な女子大学生19名(年齢:19.6±1.57歳、身長:1.59±0.05m、体重:53.83±10.89kg、BMI:21.23±3.91)とした(うち呼吸器疾患の既往2名、運動器疾患の既往5名、両方の既往2名)。また、喫煙者は除外した。実験手続としてトレッドミル(AR-200、ミナト医科学)運動負荷試験を行い、呼吸代謝測定システム(AE300SRC、ミナト医科学)を用いて各種呼気ガス値と一回換気量(TVE)の測定、及び換気応答マーカーである換気効率(VE/VCO<sub>2</sub>)、呼吸リズム(TVE/RR)の算出を行った。また主観的尺度として、実験終了直後には自覚的疲労強度(Borgスケール)を用いて記録した。被験者それぞれに対し、1)通常歩行のみ(以下、コントロール条件)、2)体重20%の重量の登山用リュックサックを背部に密着させるよう肩ベルトを締めた状態での歩行(以下、タイト条件)、3)体重20%の重量の一般的なリュックサックで肩ベルトを最大限に伸ばした状態での歩行(以下、ルーズ条件)の3つのタスクを課し、測定を行った。運動負荷試験のプロトコールには、Bruceにより提唱されているものに一部修正を加えたものを用いた。運動中止基準は、年齢推定最大心拍数の85%とした。さらに、姿勢アライメントのタスク間の違いを見るために、耳垂、第7頚椎、肩峰の3点がなす角をデジタルカメラで撮影・計測した。なお、統計処理は繰り返し測定デザインの二元配置分散分析を行った(α=0.05)。【倫理的配慮、説明と同意】 本研究は全ての被験者に対し、目的、実験手続、危険性について十分な説明を行い、文書による同意を得た。【結果】 姿勢アライメント、自覚的疲労強度(Borgスケール)、換気効率については、各条件間に有意な差はみられなかった。しかし、TVEはルーズ条件で有意に高値を示した(p=0.003)。また、TVE/RRは、タイト条件がその他の条件に比べ低値を示す傾向がみられた(p=0.068)。【考察】 本研究のTVEとTVE/RRの結果から、タイト条件がルーズ条件に比べ浅く速い呼吸リズムを助長する傾向がみられるということが分かった。この結果の要因として、タイト条件では肩ベルトの他に、胸部及び腹部ベルトも締めていたため、胸郭の可動性が制限される、いわゆる拘束条件となっていたことが考えられる。この仮説を一部支持する結果として、Bygraveら(2004)は、12名の男性に異なる締め付け強度でリュックサックを背負わせた時の肺活量を測定し、締め付け強度が強い条件では肺活量が有意に減少したと報告している。また、女性は胸郭容積を変えるために肋骨の動きに依存する割合が大きいと言われていることからも、タイト条件は女性が呼吸するには効率の悪い条件であり、登山に際し必ずしも登山用リュックサックを背負うことは推奨されるものでないことが示唆された。【理学療法学研究としての意義】 登山はスポーツ愛好者だけでなく余暇活動や趣味活動としても幅広い世代に愛されている運動だが、重篤な状態に陥る可能性のある高山病への予防対策は進んでいるとは言い難い状況にある。生体外因子であるリュックサックが呼吸機能に及ぼす影響は、生体内因子と比較してどの程度大きいかどうかは不明だが、介入可能であり変更も容易だという利点があるため、今後の実証研究を行うための科学的根拠として、本知見は意義があると考える。また登山だけではなく、通常の生活においても頻繁に用いられるリュックサックが呼吸機能に影響を与える可能性を提示したことは、呼吸理学療法学の基礎資料として一定の貢献を果たしていると考える。